前原国土交通相は国主導の56ダム事業のうち「八ツ場ダム」はじめ28の事業を凍結するが、国の補助金で道府県が進める87カ所のダム事業については道府県の判断を尊重する方針というニュースが流れています。
「地方分権」を政策の基本として掲げる民主党政権としては当然のことなのでしょうが、国と道府県が一体となって進めてきた公共土木工事のあり方を大きく見直すという意味では、いささか心もとない気もします。
個別の事業についての賛否はさておき、一般的に言えば一度走り出したら止まらず、予算や計画年度がずるずると無限に拡大・延長あるいは変節していくのが公共土木工事の常であることは誰でも知っています。
「道府県それぞれの判断は尊重するが、国の補助金については抜本的に見直すので悪しからず」とでも言ってもらわないと、開発という名の環境破壊にブレーキがかからないのではないでしょうか。国と地方とのパートナーシップを見直す絶好の機会でもあるだけに、大いなる論議を期待したいものです。
さてそんな大規模事業の陰に隠れて、実は名勝「鞆の浦」の波高し。判決後、まだ広島県や福山市が工事中止へと舵を切ろうとしていないようです。
世界遺産訴訟事務局の松居さんからSOSメールが届きました。
県知事、県議会そして福山市長宛てに「判決を重く受け止め、控訴しないように」との要望メールを届けてほしいとのこと。あいにく締め切りが迫っていますが、ご紹介します M&M
> みなさま
>
> いつもお世話になっております。
>
> 現在地元では、勝訴判決を受けて国や県、市にたいして要望を行う準備をしております。
>
> 今回の裁判では、「文化的,歴史的価値を有する景観として,いわば国民の財産ともいうべき公益
である」と司法が判断しました。
> にもかかわらず、広島県の丸山空港港湾部長は、「判決は、承服できない」とし、「免許手続きを
つづける」とコメントを出しました。
> しかし、広島県議会建設委員会では、事業の見直しの声もあがったということです。
>
> そこで、いつもの事ですが、お願いがございます。
>
> 広島県と福山市に対して控訴をしないよう求めるはがきや手紙、メールなどを送っていただけない
でしょうか。
> 今回の報道を受けまわりに興味をもたれた方やお知り合い、ご友人など多くの方にも声をかけてい
ただき、メッセージを送ってください。
>
> 送り先
>
> 1 広島県知事 藤田 雄山
> 〒730-8511 広島市中区基町10-52
> souhisyo@pref.hiroshima.lg.jp
> 2 広島県議会議会事務局
> 〒730-8509 広島市中区基町10-52
> gikaisoumu@pref.hiroshima.lg.jp(総務課)
> 3 福山市長 羽田皓
> 〒720-8501 広島県福山市東桜町3番5号
> hisho@city.fukuyama.hiroshima.jp
>
> 上記3カ所に対し、10月14日までに「判決を重く受け止め、控訴しないように」と要望をお送
りください。
> 司法が「鞆は国民の財産である」と認めていますので、住んでいる地域などは関係ありません。
> 一人でも多くの声を届けていただければと思います。
>
> 事業が完全に中止され、鞆の浦が永遠に守れるまで、私たちは頑張ります。
> どうか、引き続きご支援、ご協力を頂ければ幸いです。
>
> NPO法人 鞆まちづくり工房
> 代表 松居 秀子
> 広島県福山市鞆町鞆5番地
> Tel 084-982-0535
> Fax 050-3489-2310
> e-mail npo-tomo@vesta.dti.ne.jp
> URL http://www.vesta.dti.ne.jp/~npo-tomo/
「署名の会」とも様々な活動を通じて友好関係にあるパタゴニア日本支社のサイトに「八ッ場ダムを考える会」事務局の渡辺 洋子さんのレポートが載っています。今回の中止問題以前に書かれたものですが、ウェブサイトをあれこれ検索するのはどうも……という方のために勝手に転載します。
渡辺さんはこのレポートの中で、「日本のいたるところで自然破壊が進んでいるなか、川原湯や川原畑のような山村がいまだにダムの底に沈んでいないのは、もしかして奇跡なのかもしれません」と記します。
横浜という巨大都市の都心からわずか15キロたらず?のところに奇跡のように残された瀬上沢のみどり豊かな自然。
「瀬上沢を知っていますか。いまならまだ間に合います」
国と私企業……相手こそ異なれ「思い」を共有する方も多いのでは? M&M
八ッ場ダムを知っていますか
by 渡辺 洋子
東京の上野駅から特急草津に乗って2時間あまりで着く群馬県長野原町の川原湯温泉駅。そこはダムの水没予定地のど真ん中であり、小さな白い駅舎を背にして国道を左に数分歩くとダムができる予定の吾妻渓谷に着きます。その谷間を身をくねらせるようにぬって流れる吾妻川は、かつては急峻な岩山にさえぎられ、ここから下流には流路がなかったそうです。けれども数十万年のあいだに水の流れが岩を削り、谷を開き、やがて吾妻川は関東平野の入り口で利根川本川に注ぐようになりました。その長い年月がつくり出した景観は国の名勝に指定されており、両岸にせまる自然林が新緑や紅葉に染まる時期は多くの観光客が訪れますが、静かな冬、雪におおわれた寂しい谷間を眺めながら歩くのもいいものです。そんな吾妻渓谷の左岸の林と岸壁がバッサリと削られたのは2008年7月のことでした。八ッ場(やんば)ダム建設のために吾妻川をバイパスさせる工事が始まったのです。
八ッ場とはこの谷間の左岸を指す地名です。国が八ッ場ダムの構想を最初に発表したのは終戦後まもなくの1952年のことだったそうです。それから半世紀以上の歳月が流れるあいだ、利根川上流には次々と巨大ダムが完成していきました。つまり八ッ場ダムの建設目的はとうに失われてしまったのです。にもかかわらず、一度始まった公共事業はなかなか止まりません。国土交通省は、吾妻川のバイパス工事が終われば、この首都圏最後のダムの本体工事にとりかかる予定だといいます。けれどもダムを造るには、その前に沈む予定の鉄道や道路の代わりとなるライフラインを造らなければなりません。また水没予定地に住む数百世帯の住民の移転地も造成する必要があります。関連工事があまりに多いため、八ッ場ダムに投入する税金は全国のダム事業費のトップに膨れ上がってしまいました。ところがさらに、関連工事は遅れに遅れています。
八ッ場ダムが完成すると、吾妻渓谷上流部の340世帯(1979年当時)の生活の場が呑み込まれてしまいます。水没予定地のうち世帯数がもっとも多いのが川原湯温泉のある川原湯地区で、そこは岩から自然にしみ出す柔らかいお湯を売り物にしてきた土地で、「草津の仕上げ湯」といわれています。800年の歴史を誇るというこの温泉街をはじめて訪ねたのは10年以上前のことだったでしょうか。わびしげな温泉街の入り口におびただしい数のヤママユガがいて、観光客気分が吹っ飛んだことを覚えています。ヤママユガは日本在来の代表的な野蚕であり、その天蚕糸の特長と希少価値から「繊維のダイヤモンド」とも呼ばれています。それから何度か川原湯を訪ねましたが、昭和20~30年代のタイムカプセルに閉じ込められたような家々と、礎石が残る空き地が点在する町並みになぜ重苦しい空気が淀んでいるのか、東京育ちの私にはなかなかわかりませんでした。ここでは1965年から20年以上におよび激しいダム闘争が繰り広げられたそうです。当時の記録には住民の大多数は反対だったとありますが、ダム闘争の第一世代が病に倒れたあと、ダム計画のなかで育った次の世代が闘争を引き継ぐことはありませんでした。国との闘いに疲れ果て、最終的に地元が白旗を掲げたのは1992年。ダムの関連工事は1994年から始まりました。ダムを受け入れた土地ではかつての闘士は身を小さくし、ダムに反対する声が表立って聞かれることはありません。ダム計画に疑問を抱き、なかなか土地を手放そうとしない地権者は、補償金を吊り上げたいのだろうと口さがなく非難されます。ダムという袋に閉じ込められ、地元の住民同士が傷つけあう痛ましさ。けれどもそのダムは、そうした地元の人たちのためにではなく、東京をはじめとする首都圏のために造られることになっているのです。かつて国に対立していたという旅館の玄関の頭上には水没線の「586メートル」を示すプレートが掲げられ、そして水没線上にある旅館の壁には未来のダム湖に泳ぐ魚の絵が描かれています。温泉街の裏山ではトンネル工事が進んでおり、補償金を受け取った人は家を壊して出て行ったため、温泉街は櫛の歯が抜けたようです。対岸の景色も日ごとに変わっていきます。山は大規模な道路建設のために発破で次々と崩され、沢という沢には幾重もの防災ダムが造られています。
対岸の川原畑も、川原湯と同じようにすべてがダムに沈む予定です。温泉街のある川原湯は北向きですが、対岸の川原畑は南向きでいつでもぽかぽかと日が当たっています。JRの温泉駅から徒歩10分と交通至便な川原畑ですが世帯数はかつての四分の一に減り、いまは20軒しか残っていません。移転していってしまった家の空き地に残る栗や梅や柿の木や、細い道端に佇む古い石仏を目にすると、この土地の人びとは自然と溶け込んだ生活の厳しさも、そして温かさもよく知っているにちがいないと感じます。小高い丘に登ると、対岸の川原湯温泉街がよく見えます。ここから見ると川原湯温泉すべてがすっぽりと裏山にうずまり、自然の懐に抱かれているのがよくわかります。山の稜線が浮かび上がる、日本の原風景のような里山の景色を眺めていると、なぜかとても懐かしい気持ちになります。
この川原畑では、いま大規模な遺跡の発掘調査が行われています。縄文遺跡からはじまり、さまざまな時代の遺跡が発掘されており、そのなかには江戸時代天明3年の浅間山噴火で埋もれた人家跡もありました。八ッ場から上流20キロ地点にあるわが国有数の活火山の浅間山が大噴火を起こすたびに、吾妻川を泥流が襲った記録があります。天明3年噴火の際、浅間山の泥流は30分足らずで八ッ場に達し、狭い渓谷に巨岩や流木が詰まったあげく逆流現象を起こした泥流により、渓谷上流部の河岸段丘に泥土が厚く堆積しました。いま畑として使われている土地も深く掘ると天明3年の泥流の跡が出てくるといいます。噴火直後、土地の人びとはどれほど困窮したことでしょう。けれどもそれから200年以上の年月が経ったいま、水没予定地の畑は肥沃になりました。何世代もかけて土地を肥やしてきた人びとの苦労が、子孫に豊かな実りをもたらしているのです。川原湯温泉は第二次大戦中、東京・新宿の小学校の学童疎開を受け入れており、短期間ではありましたが東京の疎開児童と地元の児童が地元の小学校で共に生活した時期がありました。東京の子供たちが「飢え」の話をするのを聞いて、地元の農家の子供たちは「飢え」とはどういうものだろうと不思議がったといいます。吾妻谷の農民は、戦争中も飢えることなどなかったのです。
日本のいたるところで自然破壊が進んでいるなか、川原湯や川原畑のような山村がいまだにダムの底に沈んでいないのは、もしかして奇跡なのかもしれません。八ッ場ダムの予定地は、自然をコントロールしようとする人間の企てがどれほどエネルギーを必要とし、どれほど大きな犠牲を強いるのかを物語っているように思えます。ダム湖ができれば将来世代にとって大きな負の遺産になるのは目に見えています。いまから半世紀以上をさかのぼり、すべてを白紙にすることはできなくとも、それでもダムの本体工事が中止になれば少なくとも再生の可能性はあります。いま必要なのは、少しでも多くの首都圏の人びとに、現地を見てもらうことでしょう。なぜならこのダムの巨額の建設費用は国税として一般国民に、またダム貯水が水道用水や工業用水として供給されることになる茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京の1都5県の住民の肩には、都県民税や水道料金として、将来にわたって重くのしかかることになるからです。「八ッ場ダムを知っていますか。いまならまだ間に合います」
◎著者のプロフィール
東京で生まれ、結婚後に群馬県に移住。2002年より市民団体<八ッ場ダムを考える会>の事務局を務める。岩波ブックレット『八ッ場ダムは止まるか』(2005年岩波書店発行)を企画編集。2006年の『八ッ場いのちの輝き』コンサート開催を機に八ッ場ダムを考える会を継承/発展させる目的で<八ッ場あしたの会>発足。現在は同会の事務局長を務める。
10月2日(金)、国土交通省関東地方整備局がダム本体工事の入札中止を正式に発表した八ッ場ダム問題。
谷垣自民党総裁が現地を視察したその日の出来事とあって、ますます推進&中止両派両論の対立が過熱し、今日明日は鞆の浦問題と併せ洪水のように報道番組があふれ出ると思います。
でも長年開発優先の流れが続いてきたこともあって、問題の本質がどこにあるのかを考えようとするとき、ダム建設の中止を求める意見・立場がどういうものなのか、意外と情報が少ないことに気がつきます。
開発と環境――あらためて「国家百年の大計」(古い言い回しですが)を再考する観点から、「八ッ場ダムのあしたを考える会」のウエブサイトhttp://www.yamba-net.org/をご紹介します。
このサイトには仏語版&英語版があり、最新のアクセスカウンターは1日に1万を越えています。彼我のサイトの差、驚くべき数字ですね。
というわけで、以下その冒頭の「見出し」から。
テレビのバラエティふうな特別番組を見る前に必見のような気がします。
八ッ場ダム事業について、関係各都県の知事や国土交通省から主に次のような情報が流されていますが、いずれも事実に基づくものではありません。
I. 八ッ場ダム事業は継続したよりも中止した方が高くつく。
II. 八ッ場ダムはすでに7割もできているので、今さらストップできない。
III. 八ッ場ダムの暫定水利権がダム中止に伴って失われる。
IV. 大渇水到来のために八ッ場ダムが必要。
V. 八ッ場ダムは利根川の治水対策として重要。
さらに、八ッ場ダムの中止に対して地元の町とダム予定地から強い反発が出されていますので、そのことを踏まえて考慮すべき事実と今後取り組むべきことを
Ⅵ ダム予定地の生活再建と地域の再生について
として整理しました。
注:これが書かれたのは政権交代以前のようです。 M&M
季節の移ろいとともに日々変わりゆく自然。
「瀬上市民の森」に連なる瀬上沢一帯の緑地はいまどうなっているでしょうか?
このコーナーでは、掲示板と併せてブログ読者の皆さんからの自由なレポートや提言、写真などを紹介していきたいと考えています。
で手始めに、9月5日(土)、久々に歩いた時に見つけた「大型ゴミ」!

誰が、いつ、こんなところに放置車両を? ナンバープレートは外されていますが、車体番号から所有者は追跡できるはず。それとも物置代わりに置いてあるのでしょうか?(皮肉にも場所は横堰のすぐ近く。東急の立ち入り禁止の立て看板がある柵の横です)
もっとも、今なおそこにあるのかどうか未確認ですが。
鞆の浦の「世界遺産訴訟」判決についてはマスコミが大きく取り上げ、ここで詳述するまでもないのですが、原告団の松居さんから「お礼」のメールが全国の支援者宛てに発信されていますので紹介します。
なお裁判の経過や今後の展開について関心のある方は原告サイドのHPをどうぞご覧ください。
http://tomo-saiban.net/site80.html
松居さんより
----- Original Message -----
> みなさま
>
> いつもご支援いただきありがとうございます。
> もうすでにニュースでご覧になった方も多いかと思いますが、
> 鞆の世界遺産訴訟が、原告完全勝訴!となりました。
>
> 詳細などは後日ご報告させていただきます。
>
> まだ、被告らが控訴する可能性もあります。
> 県、市に対して控訴をしないよう求める要望を行うなど
> もう少し頑張ります。
> ここで気を緩めず最後の最後まで頑張ります。
>
> 引き続きご支援をお願いいたします。
>
> なお、一部ですが判決の要旨や会見の様子を
> 裁判のHPに掲載しております。
> http://tomo-saiban.net/site80.html
> をご覧ください。
>
> NPO法人 鞆まちづくり工房
> 代表 松居 秀子
> 広島県福山市鞆町鞆5番地
> Tel 084-982-0535
> Fax 050-3489-2310
> e-mail npo-tomo@vesta.dti.ne.jp
> URL http://www.vesta.dti.ne.jp/~npo-tomo/
>
昨日予告記事を載せた瀬戸内の「鞆の浦」の世界遺産訴訟で、今朝、住民勝訴の判決が出ました。今後ニュースでその画期的な意義が報道される筈ですが、とり急ぎ毎日新聞のWebニュースから。
開発優先から環境優先へ。世の中の流れが大きく変わる先触れだといいのですが。
<鞆の浦景観訴訟>県に埋め立ての差し止め命じる 広島地裁
10月1日10時24分配信 毎日新聞
瀬戸内海国立公園の景勝地、鞆(とも)の浦(広島県福山市)の埋め立て・架橋計画に反対する住民が「歴史・文化的景観が失われる」として、広島県を相手取り埋め立て免許の差し止めを求めた訴訟の判決が1日、広島地裁であった。能勢顕男裁判長(現広島地・家裁呉支部長)は原告の訴えを認め、県に差し止めを命じた。改正行政訴訟法に基づき、景観保全を理由に着工前の工事の差し止めを初めて命じた画期的判決。今後の開発行政に影響を与えるのは必至だ。
『タウンニュース』栄区版10月1日号に注目すべき記事が載っています。
中田前市長の辞任から林市政始動に至る動きの中で同紙が9月中旬に行った横浜市議を対象とする緊急アンケートの結果です。
91名全員が対象で回収率95.6%とありますから、未回答は参院選への鞍替えで先頃辞任した角田宏子議員ほか3名のみ。今の市会メンバーの市政への基本姿勢がほぼわかるようです。
質問全7項目の詳細はさておき、ここで注目すべきはQ7の「あなたの選挙区で最優先に取り組むべき課題は何だと思いますか?」に対する栄区選出2氏の回答。
大桑 正貴氏(無所属) 上郷開発で開発対象となっていた緑地の保全と子どもを安心して産み育てられる環境づくり!(産科・小児科の充実)、少子高齢化に対応できるようなまちづくり。
石渡由紀夫氏(民主党) 瀬上沢の保全、産科医療機関の設置。
ともに瀬上沢の保全と子どもを産み育てられる環境づくりを挙げています。
その言や良し。課題の実現に向けて、市民の先頭に立って実践的に取り組んでくれることを切に要望したいと思います。