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上郷開発問題 新たな段階に

炎天下、上郷開発&舞上線問題を根底から問う訴え!

港南台ショッピングセンター・バーズが8月18日から全面的な改装工事に入ったため、署名の会の街宣行動の定位置である「からくり時計」前の広場は工事用シートで覆われ無粋、そして人の流れも微妙に変化……。
しかし、この日も炎天下のチラシまきに集まったのは14名。このほか、すぐ横では東急不動産による「港南台うぐいす団地」の高層化建替え工事(5F→14F)に反対して裁判闘争中の地元自治会住環境対策委のメンバーがチラシまきをするなど、長く暑い夏に負けない熟年住民パワーまざまざ?の1時間でした。

私たちの訴え:8月街宣チラシから

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マイクを持つ人もチラシをまく人も、駅頭に近い木陰やバスストップ周辺のアーケード下で炎暑を避けました、いつもより多く用意したチラシが1時間ですっかりはけました。

なおちなみに港南台バーズのリニューアルオープンは11月(相鉄ローゼンは10月上旬)の予定とか。


◆9月15日夜、「上郷開発と舞上線の現状」で緊急報告会!

9月15日(水)18時から栄公会堂第1会議室で、上郷開発と舞上線の現状報告実行委主催による緊急報告会が開かれます。
市道舞岡上郷線の港南台5丁目交差点(環状3号線)から神奈中車庫前交差点(環状4号線)に至る830メートルの区間は、上郷開発計画がらみで仮設状態で建設工事が行われたまま20年余も放置され老朽化が進行し、一部では崩落の危険性さえ指摘されています。
市が問題の解決に向けて設置したとされる「舞上線検討委」の2回の審議で明らかになった上郷開発と舞上線の不適切な関係、そして3日(金)の午後に予定されている第3回審議の結果をふまえて、上郷開発の現状と問題点についてともに考えませんか?(詳細は続報をご覧ください!)

緑地保全への動き

保全キャンペーン用のツール、まもなく誕生

    LIVE GREEN
SAVE SEGAMI YOKOHAMA


署名の会はパタゴニア日本支社とのコラボレーションにより瀬上沢緑地の保全を広く市民に訴える草の根ツールの一つとして「ステッカー」を制作する準備を進めてきましたが、先頃、パタゴニア鎌倉・横浜・ベイサイド3店で行われたデザイン投票キャンペーンの結果、3つの候補作から1点が選ばれました。

広報チームが窓口となり、9月23日に横浜公園に連なる「日本大通り」で開かれる「2010横浜カーフリーデー」を皮切りに、25日の第4土曜日定例の港南台駅頭での街宣活動や環境問題に関する様々なイベントなどでこのステッカーを頒布する予定です。ご支援&ご注目ください。

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パタゴニア関内ストアのステッカー展示から。一番左が接戦を制した当選作

自然の宝庫:円海山

舞岡上郷線の喧騒よそに忍び寄る秋の気配

世の中は「お盆休み」ということで高速道路の大渋滞や繁華街の賑わいがニュースとなっていますが、あいにく天候がイマイチということもあって、横浜西郊の円海山周辺の緑地は人出も少なく、静かな静かな里の秋に向けて一段と秋の気配を濃くしているようです。
ブログ制作スタッフがのんびり庭の蝉しぐれに耳を傾けているうちに、瀬上沢通信員の I さんから近況が届きました。
以下、久し振りに瀬上の写真とコメントをお届けします。(9日撮影)

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ニホンミツバチの巣(残念ながらハチは写っていません) 
  
梅雨時には、蜂の数が減って絶滅寸前のように見えましたが、このところの暑さで元気を取り戻したようです。
今年は天敵のスズメバチが少ないと言われています。去年は巣を攻撃にきたキイロスズメバチをミツバチが取り 囲み蜂球を作って防衛しているのが見られました。
キイロスズメバチはミツバチより高温に弱いので、蒸し殺しとなるそうです。
(wikipedia でミツバチを引くと巣、蜂球などの写真が出ています)

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アリジゴク

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左:ヤブミョウガの花の群生と右:栗。栗の実がもうこんなに大きく育っています

舞岡上郷線問題

論点ずらし批判、再質問状を提出へ

署名の会は7月30日付けの川口道路局長名による公開質問状への回答が、おざなりの字句を連ねるだけで質問の本筋への回答を忌避し、舞岡上郷線をめぐる市民の素朴な質問に対し「説明責任」を全くはたしていないことから、6日付けで再質問状を提出しました。
以下、先の回答書と再質問状の前文を掲載します。


資料1◆川口道路局長からの回答(7月30日付け)
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資料2◆再質問状の前文(8月6日付け)

当会が市道舞岡上郷線をめぐる様々な問題点に関して貴職あてに提出した6月7日付の公開質問状に対して、約2ヶ月も経った7月30日付の回答書を落手しました。
市の規定では14日以内に回答するよう定められている期限を大幅に超過しているばかりか、、この間に開催された市会の2つの常任委員会や検討委員会における質疑を通して市民の前に明らかにされた問題点をふまえぬ、全く誠意のない回答であり誠に遺憾に存じます。
今回の回答は、「市政に関し市民に説明する責務を全うするようにし、市民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な市政の推進に資する」という情報公開の本旨(情報公開に関する市条例第1条)からも、先の公開質問状に対する貴職の回答として受け取れないので、再度質問いたします。規定の期間以内にお答え下さい。

舞岡上郷線問題

ドンドルマと鉄文化――上郷開発をめぐる2つの話題

「ドンドルマの記事がなぜ載っているの?」という批判めいた問いかけがブログ発信を担当する広報チームに寄せられました。
上郷開発問題とドンドルマ、舞上線問題とドンドルマ……確かに何となく違和感がありますよね。いかにもヒマネタふう。市会の常任委や市の検討委員会における“舞上線疑惑”をめぐる質疑・論議を見守り、「その先の展開」に関心を持つ市民の皆さんにとっては、肩すかしを食らったようなムキがあるかも。

でも、都市計画道路舞上線建設に際して事前の発掘調査が行われ、今は道路床の下に眠る上郷深田製鉄遺跡や、瀬上の貴重植物種の一つであるサイハイランについての記事を読んでくださった読者の皆さんなら、瀬上沢通信員であるIさんの鋭い観察眼と旺盛な探究心に基づくタイムリーな問題意識に驚くはず。

折も折、8月7日(土)の朝日新聞朝刊25面の文化欄に「ヒッタイト 鉄の謎に挑む」という記事が載りました。
詳しい内容は同紙の記事を読んでいただくとして、日本の研究者による発掘調査によって「鉄の使用はヒッタイトから始まる、とされてきた通説は揺らいでいる」とあります。Iさんによる「便り」は、トルコにおける発掘作業と鉄文化の通説について言及しているので、まさに時宜を得た便りだったようです。

ところで製鉄遺跡の記事へのコメントをめぐる投稿から、新たな事実がわかりました。「村下」という聞きなれない言葉の意味。
Iさんによれば、日立金属に「たたらの話」というHPがあって、この「村下」(むらげ)についてのコラムが載っているそうです。HITACHIとHittites。鉄が取り持つ縁なのでしょうか、何となくスペルが似ています。以下、「たたらの話」から引用。
「村下」とは?
たたら作業の技術責任者を村下(むらげ)と言います。村下は連日連夜たたらの炎と、たたらの側壁下部に設けられた「ほど穴」から炉内の状況を観察しながら、砂鉄や木炭の装入や鞴を踏む速度を細かく指示し、炉況の安定を図ります。堀江村下(故人)は、『初日の籠もり期には朝日の昇る色に吹き、二日目(中日)は太陽の日中の色に吹き、最後の日の下り期には日が西山に没する色に吹けと父の村下から教わった』と言っています。長年にわたって高温の炉内を直視するため、村下の眼は強い光によって衰えを早め、ついには全く視力を失うに至るとのこと。村下はまさに火との壮絶な闘いによって鉄を作ったのです。

というわけで、舞上線の本格整備工事によって歴史的にも貴重な深田製鉄遺跡が破壊されないよう、あらためて道路局および教育委員会に要望したいと思います。(5月29日付け記事参照)

瀬上沢通信員だより:消夏特集

遥かトルコと瀬上を繋ぐ2本の糸 -2
鉄のあと 追って来ました ドンドルマ

「ドンドルマ」とはトルコ語で「凍らせたもの」を意味し、一般には氷菓、アイスクリームのことを指すそうです。
戦略物資の鉄の製造に躍起になっていて、氷菓を楽しむまでの余裕が生まれてきたのはずっと後になってからと推測しておきましょう。
トルコ旅行を楽しまれた方は、あの「伸びるアイスクリーム」に出会ったのではないでしょうか。この頃、日本でも売られているようです。
買う人をおちょくりながら売る、アイスクリーム売りの面白い仕草をユーチューブで見ることができます。(Turkish Ice Cream Amazing ! nice

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伸びるわけが、この瀬上に繋がっています。
即ちサレップ(沙列布)と呼ばれる澱粉が混ぜ込んであり、サレップは瀬上にも生えているサイハイラン(ブログ=6月6日付け記事)などの蘭の根から採るからです。
と言っても、本物の葛粉やカタクリ粉がほかの植物の澱粉に取って代られているように、サレップも本物は少ないようですが。

ところでサレップ(SALEP)の語源を調べてみると、アラビア語で「狐の睾丸」を意味し、日本の植物「いぬふぐり」を思い出しました。
サレップは同時に、それを溶かした飲み物も意味し、古代ローマ時代に既に飲まれており、その後ヨーロッパでは紅茶やコーヒーが流行る前までは、胃に効く薬として、同時に強力な媚薬として飲まれたようです。

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サレップのある蘭。こんなにも優雅な花なのです

蘭の根の形状からこの名前が付いているように、あちらに効くのではないかという想像を逞しくするなんぞ、古今東西、人間の発想にそんなに違いはないと安心してみたり。
しかし、日本では「いぬふぐり」の薬効を聞いた事がなく、やはり肉食人種の考えることは少し違うなどと考えながら、ドンドルマをこの暑い夏に賞味されては如何!

瀬上沢通信員だより:消夏特集

遥かトルコと瀬上を繋ぐ2本の糸- 1
時隔て アジアの果てから 鉄文化

お盆休みの目前、ぶり返した猛暑と舞岡上郷線問題で市会筋や道路局、さらにわがブログが沸騰?している中、冷たい「鉄」と「ドンドルマ」の話で熱中症の予防といきたいと思います。

鉄文化の発祥の地といえば、かつて歴史で学んだヒッタイトという国が思い出されます。そのヒッタイトの首都ハットゥシャは今のボアズキョイで、トルコの首都アンカラの東150㎞にあり、昨年日本の発掘隊がその近くのカマンカレホユックという所で、鉄の歴史を今までの定説より約600年遡る、紀元前2100年頃の鋼製ナイフを発掘しました。ヒッタイトの出現より前に製鉄が行われていたようです。

鉄は石器や青銅器に比べその軽さ、鋭さ、強度などにおいて利点があり、剣、鏃(やじり)、楯等の武器の他に、映画「ベン・ハー」にも登場したチャリオットと呼ばれる馬に牽かせる戦車の車軸や車輪のスポークにも使われました。
BC 1285年にヒッタイト王のムワタリとエジプト王のラムゼスⅡ世の間で行われた「ガデシュの戦い」で、ヒッタイト軍は2,500台の戦車を繰り出したそうです。
まさに戦略物資であったわけで、製鉄技術はヒッタイトが滅びるまで、なかなか伝播されなかったと言われています。

それにしても日本に製鉄の技術が伝わるまで約2,600年。そして、この瀬上の深田遺跡で製鉄が始まったのが7世紀中葉ならば、アジアの最西端、アナトリアの地から何と2,750年もかかって製鉄技術の糸が繋がったことになります。
ここで2月17日付けのブログ記事「深田製鉄遺跡に連なる蘊蓄」の続きとなります。

日本への製鉄技術の伝播には、いろいろなルートの存在が言われていますが、横穴墓を掘った人達が朝鮮半島からの渡来人とすると、製鉄技術が遥か西域から陸路を経てもたらされたのではと考えるのは自然ではないでしょうか。
製鉄にかかわる興味深い言い伝え「ひょっとこ」「粉鉄八里に炭三里」「一風二土三村下」「代わり番子」について記します。
・ひょっとこ
火男、即ち鉄を製錬する時に大切な火の温度を見続けたため、眼が歪み、また火を起こすため口が火吹きの口となった?
・粉鉄八里に炭三里 (一説に砂鉄七里)
同じ重さの砂鉄と炭を運ぶ場合、かさばる炭は3里が限度で、砂鉄はその倍以上の距離を運べたという。製鉄場は炭の産地に近い所に造れという教え。
・一風二土三村下
製鉄に欠かせない要素の重要度を表す。即ち、一に強い火を得るための自然の風、二に築炉に必須の溶媒剤を含み、かつ高温に耐える土、三に築炉から製鉄作業全体を仕切る、長である村下の識見と技術。 
・代わり番子
中世後期になって足踏み式の鞴(ふいご)が発明されたという。おおむね3日3晩製鉄炉を高温に保つため、交代で足踏み番子により風が送られたのが語源。

いささかカタい話となりましたので、次回はひんやりと柔らかい「ドンドルマ」の話をご紹介します。


INCLUDEPICTURE1-78.pngドンドンのびるあるよ!


Special thanks for TOKYO GAS[炎の食情報サイト]
プロフィール

上郷/署名の会

Author:上郷/署名の会
横浜7大緑地の1つ「瀬上市民の森」に連なる瀬上沢はホタルの自生地として知られ、貴重な動植物が生息する自然の宝庫です。またみどり豊かな里山風景を今に残し、古代の製鉄遺跡や江戸時代に使われた横堰などの文化遺産も眠る横浜市民共有の財産とも言うべき緑地です。
その瀬上沢に大規模な上郷開発計画が浮上したのは2005年。瀬上沢を愛し、それぞれに保全運動をしてきた市民は、2007年6月に「上郷開発から緑地を守る署名の会」を結成、開発計画の中止と緑地の全面保全を求める活動を開始し、同年12月、市内全域はもとより全国各地から寄せられた92000筆あまりの署名を添えて横浜市長と市議会に陳情書を提出しました。
2008年9月、横浜市都市計画審議会は計画を承認せず、「上郷開発事業」は中止となりました。しかし地権者でもある開発事業者・東急建設は引き続き「開発の意思」を表明。2012年1月、ついに第3次開発計画の事前相談書を横浜市に提出しました。私たち「署名の会」はあらためてこの開発プランの問題点を指摘、瀬上沢の全面保全を求めて新たな活動を開始しました。
そして2014年1月に始まった新たな動きがいま地域の住環境・自然環境を揺るがす重大な岐路に……。

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