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瀬上沢通信員だより:消夏特集

遥かトルコと瀬上を繋ぐ2本の糸 -2
鉄のあと 追って来ました ドンドルマ

「ドンドルマ」とはトルコ語で「凍らせたもの」を意味し、一般には氷菓、アイスクリームのことを指すそうです。
戦略物資の鉄の製造に躍起になっていて、氷菓を楽しむまでの余裕が生まれてきたのはずっと後になってからと推測しておきましょう。
トルコ旅行を楽しまれた方は、あの「伸びるアイスクリーム」に出会ったのではないでしょうか。この頃、日本でも売られているようです。
買う人をおちょくりながら売る、アイスクリーム売りの面白い仕草をユーチューブで見ることができます。(Turkish Ice Cream Amazing ! nice

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伸びるわけが、この瀬上に繋がっています。
即ちサレップ(沙列布)と呼ばれる澱粉が混ぜ込んであり、サレップは瀬上にも生えているサイハイラン(ブログ=6月6日付け記事)などの蘭の根から採るからです。
と言っても、本物の葛粉やカタクリ粉がほかの植物の澱粉に取って代られているように、サレップも本物は少ないようですが。

ところでサレップ(SALEP)の語源を調べてみると、アラビア語で「狐の睾丸」を意味し、日本の植物「いぬふぐり」を思い出しました。
サレップは同時に、それを溶かした飲み物も意味し、古代ローマ時代に既に飲まれており、その後ヨーロッパでは紅茶やコーヒーが流行る前までは、胃に効く薬として、同時に強力な媚薬として飲まれたようです。

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サレップのある蘭。こんなにも優雅な花なのです

蘭の根の形状からこの名前が付いているように、あちらに効くのではないかという想像を逞しくするなんぞ、古今東西、人間の発想にそんなに違いはないと安心してみたり。
しかし、日本では「いぬふぐり」の薬効を聞いた事がなく、やはり肉食人種の考えることは少し違うなどと考えながら、ドンドルマをこの暑い夏に賞味されては如何!

瀬上沢通信員だより:消夏特集

遥かトルコと瀬上を繋ぐ2本の糸- 1
時隔て アジアの果てから 鉄文化

お盆休みの目前、ぶり返した猛暑と舞岡上郷線問題で市会筋や道路局、さらにわがブログが沸騰?している中、冷たい「鉄」と「ドンドルマ」の話で熱中症の予防といきたいと思います。

鉄文化の発祥の地といえば、かつて歴史で学んだヒッタイトという国が思い出されます。そのヒッタイトの首都ハットゥシャは今のボアズキョイで、トルコの首都アンカラの東150㎞にあり、昨年日本の発掘隊がその近くのカマンカレホユックという所で、鉄の歴史を今までの定説より約600年遡る、紀元前2100年頃の鋼製ナイフを発掘しました。ヒッタイトの出現より前に製鉄が行われていたようです。

鉄は石器や青銅器に比べその軽さ、鋭さ、強度などにおいて利点があり、剣、鏃(やじり)、楯等の武器の他に、映画「ベン・ハー」にも登場したチャリオットと呼ばれる馬に牽かせる戦車の車軸や車輪のスポークにも使われました。
BC 1285年にヒッタイト王のムワタリとエジプト王のラムゼスⅡ世の間で行われた「ガデシュの戦い」で、ヒッタイト軍は2,500台の戦車を繰り出したそうです。
まさに戦略物資であったわけで、製鉄技術はヒッタイトが滅びるまで、なかなか伝播されなかったと言われています。

それにしても日本に製鉄の技術が伝わるまで約2,600年。そして、この瀬上の深田遺跡で製鉄が始まったのが7世紀中葉ならば、アジアの最西端、アナトリアの地から何と2,750年もかかって製鉄技術の糸が繋がったことになります。
ここで2月17日付けのブログ記事「深田製鉄遺跡に連なる蘊蓄」の続きとなります。

日本への製鉄技術の伝播には、いろいろなルートの存在が言われていますが、横穴墓を掘った人達が朝鮮半島からの渡来人とすると、製鉄技術が遥か西域から陸路を経てもたらされたのではと考えるのは自然ではないでしょうか。
製鉄にかかわる興味深い言い伝え「ひょっとこ」「粉鉄八里に炭三里」「一風二土三村下」「代わり番子」について記します。
・ひょっとこ
火男、即ち鉄を製錬する時に大切な火の温度を見続けたため、眼が歪み、また火を起こすため口が火吹きの口となった?
・粉鉄八里に炭三里 (一説に砂鉄七里)
同じ重さの砂鉄と炭を運ぶ場合、かさばる炭は3里が限度で、砂鉄はその倍以上の距離を運べたという。製鉄場は炭の産地に近い所に造れという教え。
・一風二土三村下
製鉄に欠かせない要素の重要度を表す。即ち、一に強い火を得るための自然の風、二に築炉に必須の溶媒剤を含み、かつ高温に耐える土、三に築炉から製鉄作業全体を仕切る、長である村下の識見と技術。 
・代わり番子
中世後期になって足踏み式の鞴(ふいご)が発明されたという。おおむね3日3晩製鉄炉を高温に保つため、交代で足踏み番子により風が送られたのが語源。

いささかカタい話となりましたので、次回はひんやりと柔らかい「ドンドルマ」の話をご紹介します。


INCLUDEPICTURE1-78.pngドンドンのびるあるよ!


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プロフィール

上郷/署名の会

Author:上郷/署名の会
横浜7大緑地の1つ「瀬上市民の森」に連なる瀬上沢はホタルの自生地として知られ、貴重な動植物が生息する自然の宝庫です。またみどり豊かな里山風景を今に残し、古代の製鉄遺跡や江戸時代に使われた横堰などの文化遺産も眠る横浜市民共有の財産とも言うべき緑地です。
その瀬上沢に大規模な上郷開発計画が浮上したのは2005年。瀬上沢を愛し、それぞれに保全運動をしてきた市民は、2007年6月に「上郷開発から緑地を守る署名の会」を結成、開発計画の中止と緑地の全面保全を求める活動を開始し、同年12月、市内全域はもとより全国各地から寄せられた92000筆あまりの署名を添えて横浜市長と市議会に陳情書を提出しました。
2008年9月、横浜市都市計画審議会は計画を承認せず、「上郷開発事業」は中止となりました。しかし地権者でもある開発事業者・東急建設は引き続き「開発の意思」を表明。2012年1月、ついに第3次開発計画の事前相談書を横浜市に提出しました。私たち「署名の会」はあらためてこの開発プランの問題点を指摘、瀬上沢の全面保全を求めて新たな活動を開始しました。
そして2014年1月に始まった新たな動きがいま地域の住環境・自然環境を揺るがす重大な岐路に……。

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