計画の名に値しない一方的な停電
東電の不明朗なグループ分けに批判の声!
昨日の朝刊で、ようやく「計画停電の実施と節電のお願い」と題する東京電力(株)神奈川支店からの折り込みチラシが届きました。
A3で4ページのチラシには細かなグループ分け表が示され、「グループの一部のみ停電させていただいた場合、次回は、停電しなかったお客さまから順番に停電させていただく等、不公平が生じないような取り扱いをいたします」との但し書きがあります。
あいかわらず停電時間は前日あるいは当日にならないとわからない不便さはあるものの、グループ分けが明確に示されたことは一歩前進とも言えます。
がしかし、実はこのチラシには肝腎な「お知らせ」あるいは「お詫び」の言葉が書かれていません。
国民の誰しもが、壊滅的なダメージを受けた福島原発由来の電力事情の厳しさを考え、停電・節電に異を唱えることなく従っています。一般家庭はもとより工場や事業所の多くも「計画停電」なればこそ、悲鳴をあげながらも必死に対応していると言っていいでしょう。
不公平なエリア指定に全く触れず
ところが今回の東電の対応は「不公平が生じないような取り扱い」どころか、不公平そのものなのです。
市のサイトで明記されているように、中区・西区・神奈川区・保土ケ谷区の4区が全く計画停電区域から外されているほか、例えば私たちの生活圏にある洋光台全域や港南台1~8丁目などは全く停電区域から除外されているのです。
チラシに記された「計画停電」に関する問い合わせ電話番号は計3つ。
早速疑問を質そうとコールしたのですが、東電の神奈川カスタマーセンターは「しばらくお待ちください」と無機質な応答音声が繰り返されるだけでさっぱりつながらない。
ようやく別の専用ダイヤルがつながり疑問を発してみると、コールセンターのマニュアル通りなのでしょうが「送電線の都合もありますが、大きな病院や駅など公共性の高い施設がある地域は停電区域に含まれていません」と一般論を繰り返すだけなのです。
実は病院への対応もばらばら
その場のやりとりをふまえてあらためて問いただすつもりですが、実は昨30日(水)朝日新聞の夕刊には、以下のような記事が載っています。
計画停電「手術できぬ」 除外あいまい 病院苦悩
東京電力の計画停電で、救急患者の受け入れ制限や重症患者の手術の延期を余儀なくされる病院が出るなど、医療現場が混乱している。一部の病院は停電の対象外になったが、明確な「除外基準」はない。夏にはさらに電力不足が深刻になる可能性が高く、不安の声が上がっている。(中略)
東電は自衛策を呼びかける一方で、社会的影響が大きいとして、鉄道と病院の一部を停電の対象から外した。明確な基準はなく、除外した病院名や数も公表していない。(後略)
記事は「苦情を言った病院を除外するなど、東電の対応はばらばら。救急や重症患者を多く治療している病院から優先して送電するべきだ」との病院長のコメントで結ばれています。
やはり計画はズサン、しかも不公平なようです。
なぜ、病院までも停電を強行するのか?
なぜ、中区・西区・神奈川区・保土ケ谷区の4区が除外されているのか?
なぜ、洋光台・港南台は除外されているのか?
東電はまず不公平な事実とその理由を明らかにし、停電該当地域のカスタマーに詫びるべきではないでしょうか?
東電の「(無)計画停電」を叱る! SYさんの掲示板への投稿から
市民生活と国民経済にジワリ、深刻な打撃を与えつつある東京電力の計画停電。
折しもブログの掲示板に東電や市・区などの対応をめぐる投稿がありましたのでご紹介します。(編集部)
暖かい部屋で悲惨な被災地の状態をテレビで見ていると、自分で何か出来ないか考えてしまいます。Tさんの募金活動には一市民として出来るだけ参加していますが、市民の皆さんの反応は今1つ鈍いのが難です。が、しないよりした方が良いと思って参加しています。
10日ばかり前、近所の独居老人と立ち話をしたのですが、その方が何時停電するか判らないので生活設計が出来ないので困ると言っていました。手持ちの予定表を渡したら凄く喜んでくれました。考えるとこのような方は情報難民なんですね。
一般的に75歳以上の方はパソコンをなさる方は少ないと思います。テレビで計画停電に関するニュウスを流している時見ていれば今日予定通り停電をするかどうか判りますが、そうでないと判りません。一種の情報難民なんですね。
この状態を何とか解決しようと思いました。今は市議選の竹岡候補、藤田候補が停電の日程表を作って配付してくれていますが、それも区内全部ではないでしょう。
計画停電のお知らせは第一には東電が行うべきです。何度もかからない電話をして「何とかしろ」と言っても「検討します」の返事だけ。それならば市民の安全安心に責任がある市役所を当たってみようと思い、市民局に様子を聞いてみたら、情報はその都度区役所に流していますとの事でした。
それで、一区民として栄区役所の地域振興課長と面談しました。区役所は「各自治会長にFAXで流しています。その先は自治会の裁量にお任せしています」との返事が返ってきました。
「区役所が流した後のフォローをしないから区民に情報難民が出るのだから、ちゃんとフォローして下さい」と依頼してきました。自治会によって回覧する所、掲示板に張り出す所、私の所の自治会のように握り潰してしまう所があるそうです。
まず自分の自治会からと考え、自治会長と会い、実際に困っている方がいること、「自治会の責任を果たしてもらいたい。夏場、停電時間を知らないとクーラーが止まっても判らないまま熱中症に罹る人も出てくる事も考えられるから」等、対策を至急考えて貰いたいと依頼してきました。
翌日副会長が来宅して、今日、自治会3役と支えあいネットで話し合って情報を必要とする家庭の調査を至急行い、停電予定表を直接配布する事になったとの事でした。
この記事をお読みになった皆さんの地区は如何ですか。
お読みになって参考になれば幸いです。
(注:読みやすくするため掲示板の投稿にちょっと加筆しました=編集部)
悲劇をふまえ原発全面廃止へ 「手抜き工事が招いた事故」との告発メール
原発に対する賛否を越え、原発の建設工事そのものについて3・11大震災後の早い段階から問題点を指摘するメールが届いていました。
TKさんから届いた「原発事情」もその一つ。TKさんの大先輩である西洋建築史の大家KSさんのメールを読むと、地震直後に福島原発関係者が家族を疎開させたという噂がガセネタでなかったことがよくわかります。
Sent: Wednesday, March 16, 2011 11:43 PM
Subject:KS:原発事情
原発については、いくつかの思い出やいろいろと考えることがあります。
1950年卒の東大の同級生のうちの数人が、1960年代から70年代にかけてほぼ10年前後、初期の原発の原子炉上屋の設計に専心従事していたと思います。いずれも優秀な構造エンジニアで、RC の上屋の耐震性について絶対に近い自信を持っていました。
日本の原発は東海原発(1960ー65、英国製 GCR黒鉛炉、1998廃止)に始まり、敦賀第一原発(1966ー70、米国製GE軽水炉、東京防災設備)、東海第二原発(1973ー78、GE軽水炉、 GE・日立・清水建設)を経て、敦賀第二原発(1982ー87、三菱重工)から完全な国産化に入ったと思いますが、この間にすでにスリーマイル島原発(1979)とチェルノブイリ原発(1986)の原子炉メルトダウンが起こっており、原発反対の声が圧倒的でしたので、わが級友たちは「日本の原子炉は絶対に安全だ」と説得に努めることに全力をあげていました。上屋の構造と施工にはそれだけの自信があったのだと思います。
しかし、問題は原子炉や上屋の設計にあったのではなく、原子炉の施工と維持管理にあったと確信しています。原子炉の設計は完璧でも、その組立ても現場管理もいい加減であったことは何人かの真面目な現場従事者が証言しています。第一、まともな業者は危険を恐れて仕事を引き受けず、命知らずの業者と出稼ぎ職人しか現場に参加しなかったといわれています。電力会社の監督や検査のいい加減さ、廃棄物処理の無責任についてはいうまでもありません。こうした事情のなかで、80もの原発が造られたのは実に驚くべきことで、政府の無責任と電力会社の強欲、そして両者の怠慢によるものとしかいえないでしょう。
今回の悲劇を踏まえて、原発全面廃止の方向に向かって国策を立て直して欲しいと願っています。
危機に直面、復興の兆し見えず いわき市を訪ねたNさんからの便り
昨28日(月)、お連れ合いの実家が福島県のいわき市という知人から一斉メールで「現地情報」が届きました。
地震と福島原発の被害拡大によって大きく傷つき翻弄される地域社会の現状が綴られ、新聞やテレビの報道では伝わらないフツーの市民の困惑と疲弊ぶりが伝わってきます。
以下、長いのですが緊急レポート勝手連として転載します。(編集部)
26~27日、いわきの妻の実家を訪ねました
おはようございます。横浜の××です。BCCでお送りします。
震災から半月、皆様お元気でしょうか。
何かを発言しなければと思いながらも、知人・親戚等の被災のショックが大きく、半月が経ってしまいました。また、マスコミの報道が過激なこともあり、真実を確かめないと話せないという気持ちがありました。
3月26日、27日に妻の実家であるいわき市に行ってきました。
報道は、三陸海岸地区や原発が中心となっており、なかなかいわき市などについては報道されていないことため、どういう状態なのか、実家の家屋を含めて見てきました。
海岸地域は、三陸と同じように、ほぼ壊滅という地域がいくつかありました。特に美空ひばりの歌「みだれ髪」で有名な塩屋崎灯台の付近の豊間、薄磯地区は、家屋の影も形もなくなり、残骸だけが残されてました。福島県だけでも千人単位の死者・行方不明者がでています。
また、漁港はほとんど全滅です。小名浜漁港には大型漁船が乗り上げており、手が付かない状況です。たぶん、三陸地方も含め、この先数年間は漁ができないことが予想されます。
こうした海岸部を離れて平地区や××地区(山間部で妻の実家)に戻ると、平穏な町、のどかな田園風景がそのまま残っていました。妻の実家も私の別宅もまったく震災の跡もなく無傷なままでした。
しかし、原発が30キロほど北に位置することで、住民は心理的に相当まいっています。
外へ出て仕事をしにくい。野菜を作っても売れないから農作業をしても無駄。畑を開墾すると土中に放射能がたまる・・・などの風評(?)で働く意欲がわきません。そうすると家でテレビを見るしかない。震災の報道ばかりで、特に原発のニュースを見ると滅入ってしまう・・・そうした繰り返しで落ち着いた生活ができていません。
政府から自主避難という指示だか、命令だかわからない見解が出ていますが、その地域にはガソリンが圧倒的な不足で、開いているガソリンスタンドは長蛇の列で、1回20リットル程度の補給では、遠くに行くこともかないません。また、生鮮食料等の物資も不足していて、開いていないスーパーやコンビニがたくさんあります。開いているところに客が集中するので、また、すぐ物資がなくなるという状況の繰り返しだそうです。東京からは近い距離なのに、原発の近くには行きたくないという真理が、もしかしたら、東北北部よりも物資を入りにくくしている気がします。
何人かは関東や福島県の郡山や会津の方に一時退避をしていましたが、3日くらいすると帰ってきています。やはり親戚等で暮らしても遠慮があり、やることもなく、疲れてしまうという理由です。
近くに住む親戚に横浜で購入した物品を配りに行きました。年寄り一人で暮らしている人のところに行って、2時間近くお茶を飲んで世間話をしてきました。きてくれたことがとても嬉しいようで、何もできない、したくないなかで、世間話ができるだけでも喜んでくれました。
もう一軒の親戚にいく途中では、検問に会いました。「この先危険地域」という看板があり、原発から30キロ圏内に入るようです。愛知県警の車両でした。
海のほうでの被災地で活動しているのは自衛隊であり、警察でした。みんな昼夜を通して働いてくれている姿を見て、感謝の一言です。
いわきで一泊したのですが、夜寝ているとドーンという振動で目を覚まします。身体で感じる余震が一日10数回あります。震度4というときがありましたが、その後、眠れなくなりました。余震と、静かで見えない悪魔である放射能という心理的な危機で、一泊しただけでも疲れてしまいました。
こうした状況ですので、震災の復興に向けて、混乱期から復興期に移行していくのが普通ですが、心理的な復興期になるのは、まだまだ先のようです。原発が落ち着かないとたぶん無理かもしれません。
さて、横浜へ帰ってきて、平和な町に人が溢れていました。250キロ先の福島県南部の浜通り地区では、まだまだ復興の兆しが見えないのに・・・この横浜で何ができるかを考えなくてはなりません。
(中略)
いつもの季節と同じように横浜の桜は咲く気配を見せています。今週末は黄金町地区で「大岡川桜祭り」が規模を縮小させて実施されます。
同じ春ですが、辛い春が被災地に訪れます。
皆様にも被災地への直接的な応援、芸術を通した応援、よろしくお願いします。
また、皆様、お身体ご自愛ください。
追記:他人事ならず
メールを紹介したNさんが訪ねたのはいわき市の北部、JRいわき駅から見て北西の地です。で実は、ぼくの母方の叔母とその娘(つまり従妹)一家がそれとは逆、JRいわき駅の南方にいるのです。先日電話で安否を確認したのですが、高台なので地震と津波による被害はまぬがれたものの断水と屋内避難命令による物資不足で困っているとのことでした。被災者の方々に心からお悔み・お見舞いするとともに、今回の災難はまさに他人事ならず気をもんでいます。(M&M)
原発事故をどう論じたのか? テレ朝「朝ナマ」の緊急討論で問われたもの大地震・大津波による未曾有の死者・行方不明に加え、日一日と深刻さを増す福島原発の被害、放射能汚染問題……。
あいかわらず一般市民にとって、その実相や放射能禍についてのマスコミ報道は過剰なようでいて実は混乱・錯綜していてわかりにくいのですね。
今やスリーマイル島の原発事故をしのぐとも言われる福島原発事故。
原発についてはなお賛否が別れるところでしょうが、地球温暖化をめぐるエネルギー問題を越え、広く環境そして自然との共生について考え、安心安全な社会(住環境そして自然環境)をめざすという観点から、様々な動きの一端についてウオッチしていきたいと考えています。
第1弾は福島原発問題をとりあげた25日(金)深夜のテレビ朝日の人気番組「朝ナマTV」。
原発推進の立場からの発言が話題となったようですが、あいにく見逃した方も多いのでは? ネットでそのサワリを見ることができるとの知らせが届きました。
「緊急討論:この危機をドー乗り越えるか?!」 さてどんな討論、提言が行われたのでしょうか?
司会は田原総一朗。パネリストは次の面々ですが、なぜかホリエモンの名があります……。
大塚耕平(厚生労働副大臣、民主党・参議院議員)
片山さつき(自民党・参議院議員)
池田信夫(経済学者)
猪瀬直樹(作家、東京都副知事)
荻原博子(経済ジャーナリスト)
勝間和代(経済評論家)
島田保之(東京電力執行役員営業部長)
宋文洲(ソフトブレーン株式会社創業者)
高橋洋一(嘉悦大学教授、元財務官僚)
藤城俊夫(元日本原子力研究所大洗研究所長)
堀江貴文(元ライブドア社長)
松本義久(東京工業大学准教授) ほか
以下、そのURLを。(批判的な立場からの紹介サイトです。あらかじめご承知おきください)
http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/858.html追記:もっと聞きたい方向けサイトいささか「勝間批判版」の趣きがある上記より長い約15分のダイジェスト版(以下のURL)のほか、検索するといくつもヒットします。http://www.fooooo.com/w/4154791ab2c17257f049b628350564ad
山崩れへの備えは? 里山歩きで見た「いま、そこにある危機」激しく長い揺れ、そして津波襲来の緊急速報。
しかし、その時誰がこれほどの激甚災害になると予想したでしょうか……。
3月12日(土)朝刊 死者60 行方不明56 負傷者241
*11日午後9時現在、警察庁まとめ
3月26日(土)朝刊 死者10102 安否不明19752
*25日現在、朝日新聞まとめ
巨大地震発生から2週間余。しかし地震や津波による被害に加え福島原発による放射能汚染禍により事態はますます深刻さを増しています。死者・行方不明は戦後最大、しかも原発からの避難民の増大で被災者数は拡大するばかりです。
「備えあれど憂いあり」……自然の猛威におののくとともに、あらためて原発をめぐる人智の奢りを痛感せざるをえません。
巨大地震から2日後の13日(日)に行われた「瀬上の春を歩こう会」の参加者から便りが届きました。ちょっと長いのですが、里山の自然といかに向き合うか、山崩れへの警鐘として紹介します。(編集部)
◆「山動く…」 (読者投稿から)
先日の里山歩きで、神保さんが何度も口にされた言葉に「山は動いている」というのがあります。この言い回しは、政局などに大きな変化があるときによく使われるので、最初はピンときませんでした。
地震で山が移動するような自然の瞬発力ではなく、もう一方の、じわじわと着実に働く自然の力が「山動く」という形であらわれてきています。
それは、人が山の手入れを怠ったことにより山の植生が変わると共に、表土の流出や崖崩れが発生し、沢筋が変化したり、池が埋まったりして山容が変わってしまうことなどを指しています。

あるブログから引用すると、「武蔵野(現在の東京、埼玉、神奈川の一部)に限って言うと、中世から江戸時代の初めまでは一面のススキ原であった。江戸に幕府が開かれ、人口が増えてきて薪や炭などの燃料が大量に必要となった。そこで、ススキ原を刈ったり焼いたりしてクヌギやコナラを植えていったのである。」とあります。
しかし上郷から円海山の辺りは既に律令時代には穀倉地帯であり、燃料や肥料を調達するため、とりわけ製鉄用の炭を作るため雑木林が作られ、里山として営々と受け継がれてきたものと思われます。
ところで雑木林は放っておけば雑木林のままであるのではなく、15~20年に一度伐採することで萌芽更新させ、下草刈り、小枝切りなどの手入れすることにより雑木林が保たれるそうです。これを怠ると雑草や笹などが生えてきて、数十年するとシイやカシ、タブなどの常緑広葉樹に覆われ、いわゆる極相林となってしまうそうです。

円海山一帯で山が動いている具体的な例には、急斜面で大きくなり過ぎてしまった本来伐採されるべき木が、その重さや風の力により谷側に倒れ、これまで土を押えていた根が腐り、その腐った根を伝って水が入り、あちこちで急斜面崩壊の原因となっていることがあります。
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雙葉学園の田んぼの直ぐ近くにも崩落危険地が…(3月15日)
実際に崩壊した土が流れ込み、瀬上池は埋まりつつあります。加えて蔓性植物が樹冠を蓋ったり、タイワンリスによる食害で枯れる木も多く、大風や大雨、地震による振動などがなくてもこの山の動きは大きくなっています。瀬上市民の森の管理がどうなっているのか気になるところです。SY生
関係局長、そろって異動 瀬上問題、先送りせず積極的な取り組みを!
24日付けで公表された横浜市役所の春の年中行事。
非常時とあって実行が1カ月先送りとなったのですが、あいかわらず管理職員(係長以上)2118人に及ぶ大異動で、引き続き3年ごとの配置替えで一般職員もゾロゾロ&ゾクゾクゾク……大異動となるはず。
記者発表によれば「重要課題への対応を重視した布陣」とのふれこみのようですが、この先明らかになる部長級~係長級の異動を含め、地域に密着した課題の早期解決を願う市民の眼から見れば、問題の先送りが懸念されます。
でとりあえず今回の人事で注目すべきは、瀬上保全をめぐるヒアリングを通して私たちと接点のあった関係部局の局長クラスが環境創造局長の荻島尚之氏を除きそろって異動となったこと。
都市整備局長:桜井文男→中田穂積(道路局担当理事)、道路局長:川口正敏→友田勝己(APECk開催推進担当理事)、栄区長:光田清隆→尾仲富士夫(環境創造局企画部長)。
新任の各氏には、手始めの仕事として積極的な打開策への取り組みを強く要望したい。
舞岡上郷線問題で何かと話題となったK局長の横滑り先? どなたかキャッチしたら教えてください。
■「カナロコ」から
以下、神奈川新聞のWEBサイト「カナロコ」の24日付け記事から。
横浜市は5月1日、2011年度の管理職員(係長以上)2118人(前年度比123人減)の人事異動を実施する。局再編に伴う新ポストでは、財政局長に柏崎誠港北区長、文化観光局長に光田清隆栄区長を充てる。中期4か年計画(~13年度)・横浜版成長戦略の着実な実行へ向け、温暖化対策、医療政策、緊急保育対策、大都市制度推進など重要課題への対応を重視した布陣となる。異動は4月1日の予定だったが、東日本大震災への対応を優先するため延期した。
技監には手塚文雄都市経営局担当理事(横浜開港150周年協会事務局長)、地球温暖化対策事業本部の権限を強化した新設の温暖化対策統括本部長には信時正人同事業本部長が就任する。危機管理監は鈴木洋消防局長が兼務。道路局長に友田勝己APEC・創造都市事業本部担当理事を充てる。
水道局長には、指定管理者制度やネーミングライツなど民間との連携による新たな事業創出に取り組んだ土井一成共創推進事業本部長が就任。
市民生活と直接関わる区政の継続性を確保するため、区長の異動は8区にとどめた。
異動の内訳は局長級40人、部長級148人、課長級533人、課長補佐級360人、係長級1037人。
あなたが倒れたら私が支える… 親日派シンディ・ローパーの場合
「人々が支え合う社会」というキーワードが頭を去来している矢先、「来日を中止する海外アーチストが相次ぐ中、米国の歌手シンディ・ローパーが16~18日、東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールで、予定通り3日間の公演をした」という記事に目がとまりました。(21日付け朝日新聞の文化面)
地震発生時はちょうど日本に向かう飛行機の中で、「私を迎えている日本に背を向けて帰るなんて考えられなかった」と記者のインタビューに答えたというシンディ・ローパー。
コンサートの終盤では「タイム・アフター・タイム」の歌詞、「あなたが倒れたら私が支える、待っている、いつだって」を歌い終わって目頭を押さえたそうです。公演中、本人の希望でロビーには募金箱が置かれたともありました。
シンディ・ローパーは80年代を代表するアメリカのポップス歌手で、ちょっと年下のマドンナと並んで日本でも若者の人気を二分したようです。が、ド派手なパフォーマンスのマドンナに比べればやや地味で、ぼくらの世代にとっては知るひとぞ知る存在と言っていいかも。
彼女は大の親日家として知られ、1995年に阪神淡路大震災の被災者へ寄付。翌96年2月には阪神淡路大震災のチャリティーとして行われた神戸の生田神社の震災復興節分祭で「豆まき」に参加したそうです。
また、あの戦争悲話「かわいそうなぞう」のCDの英語吹き込みを担当(2008年8月発売)したそうですが、それは今回初めて知りました。
なおちなみにこの人、「日本酒・寿司・刺身・味噌汁・梅干・スルメなどが好き」(ウイキペディア)というのですが、真偽のほどは……?
さて「タイム・アフター・タイム」を邦訳すれば「何度でも」。
You Tube(ユーチューブ)に「訳詩で歌うシンディ・ローパー」があるので、試聴なさってはいかがでしょうか? もっとも「あなたが倒れたら私が支える」とは言うものの、これは愛と別れの歌のようですが。(M&M)
■続報 クミコも被災
その後検索すると「サンケイスポーツ」の19日付け配信記事が見つかりました。
米歌手、シンディ・ローパー(57)が18日、東京・渋谷オーチャードホールで来日公演を行い、被災者救援募金を呼び掛けた。
終演後、シンディは来場した歌手のイルカ(60)やクミコ(56)、森口博子(42)らとロビーに登場。自ら募金箱を抱え、「ひとり一人の力は小さいけれど、集まると大きな力になる。少しでもいいから力を貸してください!」と何度も頭を下げた。
また、公演会場の宮城・石巻市で被災したクミコをハグし、「大変だったわね」とねぎらう一幕も。クミコは「人の心の痛みが分かる人だと思いました。まだ残っている方がいると思うと、今でも心が痛いです」と涙を浮かべた。
このたびの地震・大津波、原発事故等により被害を受けられた皆様方に対し、心よりお見舞い申し上げます。
震災から今日でちょうど10日。
ブログは「自然との共生…」という見出しを付した協賛イベントのレポート以後、沈黙を余儀なくされてきました。
時々刻々明らかになっていく東日本大震災の惨状、そして福島原発による放射能汚染への恐れ。
想像を絶する自然の猛威とそれが引き起こした連鎖の脅威を目の当たりにし、語るべき言葉を失っていたといっていいでしょうか。しかし、
災害に強い都市とは、常に災害に対して身構えた軍艦都市のイメージであってはならない。大震災の直後には、そんな主張をする識者も少なくなかったが、しょせん一時的反応でしかない。それよりも、大地震にもかかわらず、被災直後から人間のネットワークが無数に伸び、からまりあい、しっかりと人々が支え合う根のある社会こそが地震に強い社会である。
……今回の未曾有の大地震による惨禍に直面して、私たちはあらためて「災害に強い都市」「災害に強い社会」とはどういうものか、と問われています。
事実、昨日の新聞を見ると、度重なった三陸津波への備えから高さ約10メートル、幅約3メートル、総延長約2.4キロと全国最大規模を誇り、「日本一の防潮堤」「万里の長城」とも呼ばれた岩手県の宮古市田老地区の防潮堤がやすやすと今回の大津波に乗り越えられ多数の死者と行方不明者を出し、しかも約500メートルが倒壊したとあります。
スーパー堤防でも、軍艦都市でも、この地震大国の自然の猛威の前には無力であると認めざるをえないようです。
ところで実は上の引用文は「今年は日本の「ボランティア元年」でもある。」と続くのです。
久しぶりに取り出した『災害救援』(岩波新書)の中の一節。災害被害者への「心のケア」や災害報道についてのマスコミ批判で知られる精神病理学者の野田正彰氏が阪神淡路大震災の年である1995年7月に出した本からの引用です。
チェルノブイリ事故から25年、そして阪神淡路大震災から16年。いま、わたしたちはあらためて「自然との共生」とともに、「しっかりと人々が支え合う根のある社会」への歩みを加速させなければいけない、と痛感させられました。
引き続き身近な自然環境・住環境をめぐる様々な課題を軸に、瀬上沢緑地の全面保全を求めて発信していきますので、よろしくお願いいたします。(M&M)
自然との共生をあらためて実感 瀬上~大丸山の春を歩く
本日行われた「里山の春を歩こう会」には神保講師以下21名が参加し、春の草花や木々の芽吹き、リスによる食害、野ウサギ生息地や荒れる樹林地の実態、また瀬上の水田の歴史などについての該博なお話に、メモをとるのも忘れ驚くやらあきれるやら。自然とたっぷりふれ合う3時間のウォーキングとなりました。
実行委から早速、お礼と報告が届きましたので転載します。


平素は見過ごしてしまう草むらや樹上に発見が(左は野ウサギの糞)
■歩こう会を終えて――カンパへのお礼とご報告
激甚災害被災者への思いもあって、開催するしないについては厳しい決断となりましたが、天気に恵まれ充実した半日の里山歩きとなりました。
ガイドをお願いした神保さんも迷っておられたようです。参加者の皆さまにおかれましては、気持ちを整理して参加していただいたものと拝察します。
遠くにいる私たちができることとして、被災者へのカンパを提案しました。
20名の参加者のうち有志から計9300円が集まりました。
早速明日、朝日新聞厚生文化事業団「東日本大震災救援募金」係あて「瀬上の春を歩こう会&学ぼう会」参加者有志の名前で送金する予定です。
神保さんのお話の幅の広さ、奥の深さはさることながら、とりわけ自然の共有、自然との共生を強調されました。
今盛んに言われている生物多様性の追求が、取りも直さず私たち人間の安全に繋がっているというのは、説得力がありました。参加した皆様もそう実感されたのではないでしょうか。
可能ならばまた神保さんによるガイドツアーを実施したいと考えています。
「瀬上の春を歩こう会&学ぶ会」事務局
瀬上沢&円海山~大丸山 里山の春を歩こう会
本日、予定通り実施いたします。 9:30 かなちゅう本郷車庫前集合です。
「瀬上の春を歩こう会&学ぶ会」実行委員会
巨大地震の被害は拡大する一方です。
ご家族やご友人・知人の安否はもとより、刻一刻と明らかになる各地の壊滅的な被災状況に胸がふさがる思いの方が多いと思います。
まだその全容はつかめませんが、被災の皆様方に心よりお見舞い申し上げます。
加えて、長野はじめ横浜でも今回の巨大地震が引き金となったとされる地震や余震による被害が相次ぐ中で、厳しい判断を迫られましたが「歩く会」を予定通り実施することとなりました。
今回のルートは土砂の崩落や倒木あるいは浸水などによる危険のほぼ無い里山ならではのコースですが、時が時であるだけに、自然の力や自然と人の暮らしとの関わり方をあらためて考える好機としたいと考えています。(実行委より)
里山の春を歩こう会、開催迫る 絶好の「のんびりウォーキング」日和の見込み
「瀬上の春を歩こう会&学ぶ会」実行委員会が主催し、「緑遊クラブ」に加え「署名の会」が協賛する「瀬上沢&円海山~大丸山」の里山ウォーキングの開催が2日後に迫りました。
幸い13日の天気は「晴れ時々曇り」、しかも最高気温は土曜から一転して寒気が去り16度くらいまで上がるとの予報が出ていますので絶好のハイキング日和となりそうです。
しかし春の気象は不安定です。
今回のウォーキングの事務局となった「緑遊クラブ」から当日の実施状況等についてのお知らせが入りましたのでお伝えします。
1 大雨の場合は中止
2 小雨の場合は決行し、途中で中断する場合は屋内講座への切り替えを予定
3 催行の可否については当日の朝8時までに署名の会のブログ(本ブログのこと)に掲載
4 当日、港南台駅方面からの参加者に向けて港南台5丁目交差点に道先案内を立てる予定
5 事前申し込みによる定員制ではないのでフリー参加=当日参加も可です
6 なお当日の緊急問い合わせは090-2650-8240へどうぞ
■集合 3月13日(日) 9:30 かなちゅう(神奈川中央交通)本郷車庫前
ファッショナブルな山ガールに出会いました ウグイスも顔負け?大分春らしくなってきました。
鶯も既に正調を歌っています。
以前から今を時めく、お洒落な山ガールの紹介をと言われていましたが、
今日ファッショナブルなトレイルランナーに出会い、撮影をお願いしたところ快く応じて貰え、
顔が写っているものもブログに掲載して構わないとの了承を得ました。
以前近くに住んでおられ、休日に円海山~鎌倉を走っているとのことでした。

梅沢山先の尾根筋で出会った軽やかな立ち姿
私達の年代の山ファッションといえば、親爺の着古しのチョッキが付きもので、
祖父のフェルトのソフト帽を蒸して擂り粉木(すりこぎ)で伸ばすなど工夫し、チロルハット
もどきの物を作って悦に入っていたことを思い出しました。
好みのファッションから入れるとは・・・隔世の感があります。(瀬上沢通信員:I)

というわけで早速ご登場願いました。
はて、どこかでみたことがある…?
ニット?のキャップの派手なロゴが気になって早速調べてみると、やはりきゃぴきゃぴのブランドものでした。
カリフォルニア生まれの「ROXY」は、ビーチカルチャーとアクティブなライフスタイルを愛する全ての女性のためのブランド……
I さんの慨嘆に同感です。
ところで「山ガール」と言えば、2009年が森の妖精のようなファッションの「森ガール」、昨2010年が登山ファッションの「山ガール」、そして今年の予測は「釣りガール」だとか。女性のファッションの移り変わりの速さには驚かされます。(M&M)
「森の力」を感じてみませんか? 「国際森林年」にあたって今年は国連が定めた「国際森林年」(the International Year of Forests)。
2月初めの国連本部での会合で正式にスタートし、向こう1年間、森を守るための催しが世界各地で展開されるそうです。
林野庁のHPによれば、国際森林年は世界中の森林の持続可能な経営保全の重要性に対する認識を高めることを目的にするもので、各国に対し積極的な取り組みや国内委員会の設置が要請されているとか。

「無断使用禁止」とあります。ゴメンナサイ!
前回の「国際森林年」は1985年。四半世紀ぶりのスポットライトは、それだけ地球環境が危機に瀕していることの現れとも言えるのでしょうが、昨年の「生物多様性」に続き今年は「森林」の重要性に目が向けられるわけで、都市環境と身近な自然との共生をベースに瀬上沢緑地の保全をめざす私たちの活動にとっても大いに示唆を受けるものと期待しています。
が、実は横浜市のHPで「国際森林年」を検索しても1件もヒットしないのですね。
「ヨコハマbプラン」(生物多様性横浜行動計画案)が重点推進施策の一つに掲げる「つながりの森」構想と、林野庁が現在取り組んでいるという森林林業再生や「美しい森林づくり推進国民運動」など様々な活動との“つながり”など、調べなければならないテーマが山積しています。
で、まずは20日(日)付けで「国際森林年 日本の知恵を世界に」と題する社説を掲げた信濃毎日新聞から、ちょっと引用します。
「国際森林年 日本の知恵を世界に」
国連食糧農業機関(FAO)によると、世界では年平均700万ヘクタール、日本の国土面積の2割に相当する森林が失われている。その多くが熱帯林である。一方、日本は国土の7割が森林に覆われているが、なぜ豊かな森が残っているのかと言えば、森を愛し、森と調和して生きることを身に付けた祖先の英知による。
ここで社説子は、優れた森を次の世代に伝えるために<まずは歩いてみよう>、「まずは森を歩き、その力を感じてみよう。森をつくり、守る取り組みはそこから始まる。」と締めくくります。
……「森を歩く」ことが国際森林年に合わせ農林水産省が決めた国内テーマだそうです。
そんな事情はまったく知らず里山の春を歩く会への参加を呼びかけていたのですが、3月13日(日)、瀬上沢から円海山~大丸山の縦走(というほどの起伏はないけれど)を通して、「森の力」、「緑の力」を感じてみませんか?(M&M)