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震災被害者支援の輪

あなたが倒れたら私が支える…  親日派シンディ・ローパーの場合

「人々が支え合う社会」というキーワードが頭を去来している矢先、「来日を中止する海外アーチストが相次ぐ中、米国の歌手シンディ・ローパーが16~18日、東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールで、予定通り3日間の公演をした」という記事に目がとまりました。(21日付け朝日新聞の文化面)

地震発生時はちょうど日本に向かう飛行機の中で、「私を迎えている日本に背を向けて帰るなんて考えられなかった」と記者のインタビューに答えたというシンディ・ローパー。
コンサートの終盤では「タイム・アフター・タイム」の歌詞、「あなたが倒れたら私が支える、待っている、いつだって」を歌い終わって目頭を押さえたそうです。公演中、本人の希望でロビーには募金箱が置かれたともありました。

シンディ・ローパーは80年代を代表するアメリカのポップス歌手で、ちょっと年下のマドンナと並んで日本でも若者の人気を二分したようです。が、ド派手なパフォーマンスのマドンナに比べればやや地味で、ぼくらの世代にとっては知るひとぞ知る存在と言っていいかも。

彼女は大の親日家として知られ、1995年に阪神淡路大震災の被災者へ寄付。翌96年2月には阪神淡路大震災のチャリティーとして行われた神戸の生田神社の震災復興節分祭で「豆まき」に参加したそうです。
また、あの戦争悲話「かわいそうなぞう」のCDの英語吹き込みを担当(2008年8月発売)したそうですが、それは今回初めて知りました。
なおちなみにこの人、「日本酒・寿司・刺身・味噌汁・梅干・スルメなどが好き」(ウイキペディア)というのですが、真偽のほどは……?

さて「タイム・アフター・タイム」を邦訳すれば「何度でも」。
You Tube(ユーチューブ)に「訳詩で歌うシンディ・ローパー」があるので、試聴なさってはいかがでしょうか? もっとも「あなたが倒れたら私が支える」とは言うものの、これは愛と別れの歌のようですが。(M&M)


■続報 クミコも被災
その後検索すると「サンケイスポーツ」の19日付け配信記事が見つかりました。

 米歌手、シンディ・ローパー(57)が18日、東京・渋谷オーチャードホールで来日公演を行い、被災者救援募金を呼び掛けた。
 終演後、シンディは来場した歌手のイルカ(60)やクミコ(56)、森口博子(42)らとロビーに登場。自ら募金箱を抱え、「ひとり一人の力は小さいけれど、集まると大きな力になる。少しでもいいから力を貸してください!」と何度も頭を下げた。
 また、公演会場の宮城・石巻市で被災したクミコをハグし、「大変だったわね」とねぎらう一幕も。クミコは「人の心の痛みが分かる人だと思いました。まだ残っている方がいると思うと、今でも心が痛いです」と涙を浮かべた。

ブログ再開にあたって

このたびの地震・大津波、原発事故等により被害を受けられた皆様方に対し、心よりお見舞い申し上げます。

震災から今日でちょうど10日。
ブログは「自然との共生…」という見出しを付した協賛イベントのレポート以後、沈黙を余儀なくされてきました。
時々刻々明らかになっていく東日本大震災の惨状、そして福島原発による放射能汚染への恐れ。
想像を絶する自然の猛威とそれが引き起こした連鎖の脅威を目の当たりにし、語るべき言葉を失っていたといっていいでしょうか。しかし、

災害に強い都市とは、常に災害に対して身構えた軍艦都市のイメージであってはならない。大震災の直後には、そんな主張をする識者も少なくなかったが、しょせん一時的反応でしかない。それよりも、大地震にもかかわらず、被災直後から人間のネットワークが無数に伸び、からまりあい、しっかりと人々が支え合う根のある社会こそが地震に強い社会である。

……今回の未曾有の大地震による惨禍に直面して、私たちはあらためて「災害に強い都市」「災害に強い社会」とはどういうものか、と問われています。

事実、昨日の新聞を見ると、度重なった三陸津波への備えから高さ約10メートル、幅約3メートル、総延長約2.4キロと全国最大規模を誇り、「日本一の防潮堤」「万里の長城」とも呼ばれた岩手県の宮古市田老地区の防潮堤がやすやすと今回の大津波に乗り越えられ多数の死者と行方不明者を出し、しかも約500メートルが倒壊したとあります。
スーパー堤防でも、軍艦都市でも、この地震大国の自然の猛威の前には無力であると認めざるをえないようです。

ところで実は上の引用文は「今年は日本の「ボランティア元年」でもある。」と続くのです。
久しぶりに取り出した『災害救援』(岩波新書)の中の一節。災害被害者への「心のケア」や災害報道についてのマスコミ批判で知られる精神病理学者の野田正彰氏が阪神淡路大震災の年である1995年7月に出した本からの引用です。

チェルノブイリ事故から25年、そして阪神淡路大震災から16年。いま、わたしたちはあらためて「自然との共生」とともに、「しっかりと人々が支え合う根のある社会」への歩みを加速させなければいけない、と痛感させられました。
引き続き身近な自然環境・住環境をめぐる様々な課題を軸に、瀬上沢緑地の全面保全を求めて発信していきますので、よろしくお願いいたします。(M&M)
プロフィール

上郷/署名の会

Author:上郷/署名の会
横浜7大緑地の1つ「瀬上市民の森」に連なる瀬上沢はホタルの自生地として知られ、貴重な動植物が生息する自然の宝庫です。またみどり豊かな里山風景を今に残し、古代の製鉄遺跡や江戸時代に使われた横堰などの文化遺産も眠る横浜市民共有の財産とも言うべき緑地です。
その瀬上沢に大規模な上郷開発計画が浮上したのは2005年。瀬上沢を愛し、それぞれに保全運動をしてきた市民は、2007年6月に「上郷開発から緑地を守る署名の会」を結成、開発計画の中止と緑地の全面保全を求める活動を開始し、同年12月、市内全域はもとより全国各地から寄せられた92000筆あまりの署名を添えて横浜市長と市議会に陳情書を提出しました。
2008年9月、横浜市都市計画審議会は計画を承認せず、「上郷開発事業」は中止となりました。しかし地権者でもある開発事業者・東急建設は引き続き「開発の意思」を表明。2012年1月、ついに第3次開発計画の事前相談書を横浜市に提出しました。私たち「署名の会」はあらためてこの開発プランの問題点を指摘、瀬上沢の全面保全を求めて新たな活動を開始しました。
そして2014年1月に始まった新たな動きがいま地域の住環境・自然環境を揺るがす重大な岐路に……。

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