上郷開発NO! 危うし?製鉄遺跡(続) Ver.2
3月16日、試掘現場を見ませんか 東急建設「深田遺跡見学会」開催へ
ようやく東急建設から市道舞岡上郷線西側で進む深田製鉄遺跡跡地の試掘の現況についての見学会の案内が届きました。
時あたかも全国唯一の辰砂(しんしゃ)の採掘遺跡とされる徳島県阿南市の若杉山遺跡で見つかった弥生時代後期と見られる土器片が「国内最古の鉱山遺跡」の証左となる出土品である可能性が高まった、とのニュースが報じられたその日。
舞上線建設工事によってその一部が発見・発掘されたものの全面的に埋め戻され、再び太古の眠りにふけっていた深田製鉄遺跡について新たな発見の兆しがあるかどうか……目先の開発利益に傾きがちな宅地造成工事現場の現況を、曇りのない目で確かめてみませんか? 注:「辰砂」は水銀と硫黄の化合物。丹(に=赤い顔料)の原料とされる。
■東急建設からの案内状


■関連資料1:3月1日付け朝日新聞夕刊

■関連資料2:NHK徳島放送局のWEBニュース
日本最古の坑道と判明
03月01日 18時30分
古代の人々が宗教的な儀礼などに使っていた赤い色の顔料を採掘するための横穴が阿南市で見つかり、調査の結果、弥生時代後期に掘られた坑道であることが分かりました。坑道の跡としてはこれまでの発見例を500年ほどさかのぼり、専門家は、弥生時代の社会を考え直すうえで重要な発見だとしています。
この横穴は、弥生時代から古墳時代にかけて水銀朱と呼ばれる赤色の顔料を採掘・精製していた阿南市の若杉山遺跡で見つかりました。
奥行きおよそ13メートル、幅最大3メートル、高さ1メートルほどの大きさで、阿南市が発掘調査を進めた結果、弥生時代後期の土器の破片が5点出土しました。
市によりますと、この横穴は、岩盤の削られ方などから人為的に掘られた坑道で、見つかった土器の特徴から今から1800年ほど前に掘られたと考えられるということです。
国内ではこれまで、今から1300年ほど前の奈良時代に掘られた山口県の銅山の跡が最も古い坑道の跡とされてきましたが、若杉山遺跡の坑道はこれを500年ほどさかのぼることになります。
水銀朱は宗教的な儀礼などに使われ、中国の歴史書「魏志倭人伝」には当時の人々が体に塗っていたといった記述があるほか、古墳の石室の内部にまいたり、壁に塗ったりした例が多く見られます。
徳島文理大学の大久保徹也教授は「日本の鉱山開発の歴史が大きくさかのぼることに加え、弥生時代にはすでに日本各地で農業以外の産業開発が積極的に行われていたことを示していて、当時の社会を考え直すうえで重要な発見だ」と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/20190301/8020004138.html
ようやく東急建設から市道舞岡上郷線西側で進む深田製鉄遺跡跡地の試掘の現況についての見学会の案内が届きました。
時あたかも全国唯一の辰砂(しんしゃ)の採掘遺跡とされる徳島県阿南市の若杉山遺跡で見つかった弥生時代後期と見られる土器片が「国内最古の鉱山遺跡」の証左となる出土品である可能性が高まった、とのニュースが報じられたその日。
舞上線建設工事によってその一部が発見・発掘されたものの全面的に埋め戻され、再び太古の眠りにふけっていた深田製鉄遺跡について新たな発見の兆しがあるかどうか……目先の開発利益に傾きがちな宅地造成工事現場の現況を、曇りのない目で確かめてみませんか? 注:「辰砂」は水銀と硫黄の化合物。丹(に=赤い顔料)の原料とされる。
■東急建設からの案内状


■関連資料1:3月1日付け朝日新聞夕刊

■関連資料2:NHK徳島放送局のWEBニュース
日本最古の坑道と判明
03月01日 18時30分
古代の人々が宗教的な儀礼などに使っていた赤い色の顔料を採掘するための横穴が阿南市で見つかり、調査の結果、弥生時代後期に掘られた坑道であることが分かりました。坑道の跡としてはこれまでの発見例を500年ほどさかのぼり、専門家は、弥生時代の社会を考え直すうえで重要な発見だとしています。
この横穴は、弥生時代から古墳時代にかけて水銀朱と呼ばれる赤色の顔料を採掘・精製していた阿南市の若杉山遺跡で見つかりました。
奥行きおよそ13メートル、幅最大3メートル、高さ1メートルほどの大きさで、阿南市が発掘調査を進めた結果、弥生時代後期の土器の破片が5点出土しました。
市によりますと、この横穴は、岩盤の削られ方などから人為的に掘られた坑道で、見つかった土器の特徴から今から1800年ほど前に掘られたと考えられるということです。
国内ではこれまで、今から1300年ほど前の奈良時代に掘られた山口県の銅山の跡が最も古い坑道の跡とされてきましたが、若杉山遺跡の坑道はこれを500年ほどさかのぼることになります。
水銀朱は宗教的な儀礼などに使われ、中国の歴史書「魏志倭人伝」には当時の人々が体に塗っていたといった記述があるほか、古墳の石室の内部にまいたり、壁に塗ったりした例が多く見られます。
徳島文理大学の大久保徹也教授は「日本の鉱山開発の歴史が大きくさかのぼることに加え、弥生時代にはすでに日本各地で農業以外の産業開発が積極的に行われていたことを示していて、当時の社会を考え直すうえで重要な発見だ」と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/20190301/8020004138.html