瀬上沢通信員だより:消夏特集
遥かトルコと瀬上を繋ぐ2本の糸- 1
時隔て アジアの果てから 鉄文化
お盆休みの目前、ぶり返した猛暑と舞岡上郷線問題で市会筋や道路局、さらにわがブログが沸騰?している中、冷たい「鉄」と「ドンドルマ」の話で熱中症の予防といきたいと思います。
鉄文化の発祥の地といえば、かつて歴史で学んだヒッタイトという国が思い出されます。そのヒッタイトの首都ハットゥシャは今のボアズキョイで、トルコの首都アンカラの東150㎞にあり、昨年日本の発掘隊がその近くのカマンカレホユックという所で、鉄の歴史を今までの定説より約600年遡る、紀元前2100年頃の鋼製ナイフを発掘しました。ヒッタイトの出現より前に製鉄が行われていたようです。
鉄は石器や青銅器に比べその軽さ、鋭さ、強度などにおいて利点があり、剣、鏃(やじり)、楯等の武器の他に、映画「ベン・ハー」にも登場したチャリオットと呼ばれる馬に牽かせる戦車の車軸や車輪のスポークにも使われました。
BC 1285年にヒッタイト王のムワタリとエジプト王のラムゼスⅡ世の間で行われた「ガデシュの戦い」で、ヒッタイト軍は2,500台の戦車を繰り出したそうです。
まさに戦略物資であったわけで、製鉄技術はヒッタイトが滅びるまで、なかなか伝播されなかったと言われています。
それにしても日本に製鉄の技術が伝わるまで約2,600年。そして、この瀬上の深田遺跡で製鉄が始まったのが7世紀中葉ならば、アジアの最西端、アナトリアの地から何と2,750年もかかって製鉄技術の糸が繋がったことになります。
ここで2月17日付けのブログ記事「深田製鉄遺跡に連なる蘊蓄」の続きとなります。
日本への製鉄技術の伝播には、いろいろなルートの存在が言われていますが、横穴墓を掘った人達が朝鮮半島からの渡来人とすると、製鉄技術が遥か西域から陸路を経てもたらされたのではと考えるのは自然ではないでしょうか。
製鉄にかかわる興味深い言い伝え「ひょっとこ」「粉鉄八里に炭三里」「一風二土三村下」「代わり番子」について記します。
・ひょっとこ
火男、即ち鉄を製錬する時に大切な火の温度を見続けたため、眼が歪み、また火を起こすため口が火吹きの口となった?
・粉鉄八里に炭三里 (一説に砂鉄七里)
同じ重さの砂鉄と炭を運ぶ場合、かさばる炭は3里が限度で、砂鉄はその倍以上の距離を運べたという。製鉄場は炭の産地に近い所に造れという教え。
・一風二土三村下
製鉄に欠かせない要素の重要度を表す。即ち、一に強い火を得るための自然の風、二に築炉に必須の溶媒剤を含み、かつ高温に耐える土、三に築炉から製鉄作業全体を仕切る、長である村下の識見と技術。
・代わり番子
中世後期になって足踏み式の鞴(ふいご)が発明されたという。おおむね3日3晩製鉄炉を高温に保つため、交代で足踏み番子により風が送られたのが語源。
いささかカタい話となりましたので、次回はひんやりと柔らかい「ドンドルマ」の話をご紹介します。
ドンドンのびるあるよ!
Special thanks for TOKYO GAS[炎の食情報サイト]
時隔て アジアの果てから 鉄文化
お盆休みの目前、ぶり返した猛暑と舞岡上郷線問題で市会筋や道路局、さらにわがブログが沸騰?している中、冷たい「鉄」と「ドンドルマ」の話で熱中症の予防といきたいと思います。
鉄文化の発祥の地といえば、かつて歴史で学んだヒッタイトという国が思い出されます。そのヒッタイトの首都ハットゥシャは今のボアズキョイで、トルコの首都アンカラの東150㎞にあり、昨年日本の発掘隊がその近くのカマンカレホユックという所で、鉄の歴史を今までの定説より約600年遡る、紀元前2100年頃の鋼製ナイフを発掘しました。ヒッタイトの出現より前に製鉄が行われていたようです。
鉄は石器や青銅器に比べその軽さ、鋭さ、強度などにおいて利点があり、剣、鏃(やじり)、楯等の武器の他に、映画「ベン・ハー」にも登場したチャリオットと呼ばれる馬に牽かせる戦車の車軸や車輪のスポークにも使われました。
BC 1285年にヒッタイト王のムワタリとエジプト王のラムゼスⅡ世の間で行われた「ガデシュの戦い」で、ヒッタイト軍は2,500台の戦車を繰り出したそうです。
まさに戦略物資であったわけで、製鉄技術はヒッタイトが滅びるまで、なかなか伝播されなかったと言われています。
それにしても日本に製鉄の技術が伝わるまで約2,600年。そして、この瀬上の深田遺跡で製鉄が始まったのが7世紀中葉ならば、アジアの最西端、アナトリアの地から何と2,750年もかかって製鉄技術の糸が繋がったことになります。
ここで2月17日付けのブログ記事「深田製鉄遺跡に連なる蘊蓄」の続きとなります。
日本への製鉄技術の伝播には、いろいろなルートの存在が言われていますが、横穴墓を掘った人達が朝鮮半島からの渡来人とすると、製鉄技術が遥か西域から陸路を経てもたらされたのではと考えるのは自然ではないでしょうか。
製鉄にかかわる興味深い言い伝え「ひょっとこ」「粉鉄八里に炭三里」「一風二土三村下」「代わり番子」について記します。
・ひょっとこ
火男、即ち鉄を製錬する時に大切な火の温度を見続けたため、眼が歪み、また火を起こすため口が火吹きの口となった?
・粉鉄八里に炭三里 (一説に砂鉄七里)
同じ重さの砂鉄と炭を運ぶ場合、かさばる炭は3里が限度で、砂鉄はその倍以上の距離を運べたという。製鉄場は炭の産地に近い所に造れという教え。
・一風二土三村下
製鉄に欠かせない要素の重要度を表す。即ち、一に強い火を得るための自然の風、二に築炉に必須の溶媒剤を含み、かつ高温に耐える土、三に築炉から製鉄作業全体を仕切る、長である村下の識見と技術。
・代わり番子
中世後期になって足踏み式の鞴(ふいご)が発明されたという。おおむね3日3晩製鉄炉を高温に保つため、交代で足踏み番子により風が送られたのが語源。
いささかカタい話となりましたので、次回はひんやりと柔らかい「ドンドルマ」の話をご紹介します。

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