東日本大震災を考える-2
危機に直面、復興の兆し見えず いわき市を訪ねたNさんからの便り
昨28日(月)、お連れ合いの実家が福島県のいわき市という知人から一斉メールで「現地情報」が届きました。
地震と福島原発の被害拡大によって大きく傷つき翻弄される地域社会の現状が綴られ、新聞やテレビの報道では伝わらないフツーの市民の困惑と疲弊ぶりが伝わってきます。
以下、長いのですが緊急レポート勝手連として転載します。(編集部)
26~27日、いわきの妻の実家を訪ねました
おはようございます。横浜の××です。BCCでお送りします。
震災から半月、皆様お元気でしょうか。
何かを発言しなければと思いながらも、知人・親戚等の被災のショックが大きく、半月が経ってしまいました。また、マスコミの報道が過激なこともあり、真実を確かめないと話せないという気持ちがありました。
3月26日、27日に妻の実家であるいわき市に行ってきました。
報道は、三陸海岸地区や原発が中心となっており、なかなかいわき市などについては報道されていないことため、どういう状態なのか、実家の家屋を含めて見てきました。
海岸地域は、三陸と同じように、ほぼ壊滅という地域がいくつかありました。特に美空ひばりの歌「みだれ髪」で有名な塩屋崎灯台の付近の豊間、薄磯地区は、家屋の影も形もなくなり、残骸だけが残されてました。福島県だけでも千人単位の死者・行方不明者がでています。
また、漁港はほとんど全滅です。小名浜漁港には大型漁船が乗り上げており、手が付かない状況です。たぶん、三陸地方も含め、この先数年間は漁ができないことが予想されます。
こうした海岸部を離れて平地区や××地区(山間部で妻の実家)に戻ると、平穏な町、のどかな田園風景がそのまま残っていました。妻の実家も私の別宅もまったく震災の跡もなく無傷なままでした。
しかし、原発が30キロほど北に位置することで、住民は心理的に相当まいっています。
外へ出て仕事をしにくい。野菜を作っても売れないから農作業をしても無駄。畑を開墾すると土中に放射能がたまる・・・などの風評(?)で働く意欲がわきません。そうすると家でテレビを見るしかない。震災の報道ばかりで、特に原発のニュースを見ると滅入ってしまう・・・そうした繰り返しで落ち着いた生活ができていません。
政府から自主避難という指示だか、命令だかわからない見解が出ていますが、その地域にはガソリンが圧倒的な不足で、開いているガソリンスタンドは長蛇の列で、1回20リットル程度の補給では、遠くに行くこともかないません。また、生鮮食料等の物資も不足していて、開いていないスーパーやコンビニがたくさんあります。開いているところに客が集中するので、また、すぐ物資がなくなるという状況の繰り返しだそうです。東京からは近い距離なのに、原発の近くには行きたくないという真理が、もしかしたら、東北北部よりも物資を入りにくくしている気がします。
何人かは関東や福島県の郡山や会津の方に一時退避をしていましたが、3日くらいすると帰ってきています。やはり親戚等で暮らしても遠慮があり、やることもなく、疲れてしまうという理由です。
近くに住む親戚に横浜で購入した物品を配りに行きました。年寄り一人で暮らしている人のところに行って、2時間近くお茶を飲んで世間話をしてきました。きてくれたことがとても嬉しいようで、何もできない、したくないなかで、世間話ができるだけでも喜んでくれました。
もう一軒の親戚にいく途中では、検問に会いました。「この先危険地域」という看板があり、原発から30キロ圏内に入るようです。愛知県警の車両でした。
海のほうでの被災地で活動しているのは自衛隊であり、警察でした。みんな昼夜を通して働いてくれている姿を見て、感謝の一言です。
いわきで一泊したのですが、夜寝ているとドーンという振動で目を覚まします。身体で感じる余震が一日10数回あります。震度4というときがありましたが、その後、眠れなくなりました。余震と、静かで見えない悪魔である放射能という心理的な危機で、一泊しただけでも疲れてしまいました。
こうした状況ですので、震災の復興に向けて、混乱期から復興期に移行していくのが普通ですが、心理的な復興期になるのは、まだまだ先のようです。原発が落ち着かないとたぶん無理かもしれません。
さて、横浜へ帰ってきて、平和な町に人が溢れていました。250キロ先の福島県南部の浜通り地区では、まだまだ復興の兆しが見えないのに・・・この横浜で何ができるかを考えなくてはなりません。
(中略)
いつもの季節と同じように横浜の桜は咲く気配を見せています。今週末は黄金町地区で「大岡川桜祭り」が規模を縮小させて実施されます。
同じ春ですが、辛い春が被災地に訪れます。
皆様にも被災地への直接的な応援、芸術を通した応援、よろしくお願いします。
また、皆様、お身体ご自愛ください。
追記:他人事ならず
メールを紹介したNさんが訪ねたのはいわき市の北部、JRいわき駅から見て北西の地です。で実は、ぼくの母方の叔母とその娘(つまり従妹)一家がそれとは逆、JRいわき駅の南方にいるのです。先日電話で安否を確認したのですが、高台なので地震と津波による被害はまぬがれたものの断水と屋内避難命令による物資不足で困っているとのことでした。被災者の方々に心からお悔み・お見舞いするとともに、今回の災難はまさに他人事ならず気をもんでいます。(M&M)
昨28日(月)、お連れ合いの実家が福島県のいわき市という知人から一斉メールで「現地情報」が届きました。
地震と福島原発の被害拡大によって大きく傷つき翻弄される地域社会の現状が綴られ、新聞やテレビの報道では伝わらないフツーの市民の困惑と疲弊ぶりが伝わってきます。
以下、長いのですが緊急レポート勝手連として転載します。(編集部)
26~27日、いわきの妻の実家を訪ねました
おはようございます。横浜の××です。BCCでお送りします。
震災から半月、皆様お元気でしょうか。
何かを発言しなければと思いながらも、知人・親戚等の被災のショックが大きく、半月が経ってしまいました。また、マスコミの報道が過激なこともあり、真実を確かめないと話せないという気持ちがありました。
3月26日、27日に妻の実家であるいわき市に行ってきました。
報道は、三陸海岸地区や原発が中心となっており、なかなかいわき市などについては報道されていないことため、どういう状態なのか、実家の家屋を含めて見てきました。
海岸地域は、三陸と同じように、ほぼ壊滅という地域がいくつかありました。特に美空ひばりの歌「みだれ髪」で有名な塩屋崎灯台の付近の豊間、薄磯地区は、家屋の影も形もなくなり、残骸だけが残されてました。福島県だけでも千人単位の死者・行方不明者がでています。
また、漁港はほとんど全滅です。小名浜漁港には大型漁船が乗り上げており、手が付かない状況です。たぶん、三陸地方も含め、この先数年間は漁ができないことが予想されます。
こうした海岸部を離れて平地区や××地区(山間部で妻の実家)に戻ると、平穏な町、のどかな田園風景がそのまま残っていました。妻の実家も私の別宅もまったく震災の跡もなく無傷なままでした。
しかし、原発が30キロほど北に位置することで、住民は心理的に相当まいっています。
外へ出て仕事をしにくい。野菜を作っても売れないから農作業をしても無駄。畑を開墾すると土中に放射能がたまる・・・などの風評(?)で働く意欲がわきません。そうすると家でテレビを見るしかない。震災の報道ばかりで、特に原発のニュースを見ると滅入ってしまう・・・そうした繰り返しで落ち着いた生活ができていません。
政府から自主避難という指示だか、命令だかわからない見解が出ていますが、その地域にはガソリンが圧倒的な不足で、開いているガソリンスタンドは長蛇の列で、1回20リットル程度の補給では、遠くに行くこともかないません。また、生鮮食料等の物資も不足していて、開いていないスーパーやコンビニがたくさんあります。開いているところに客が集中するので、また、すぐ物資がなくなるという状況の繰り返しだそうです。東京からは近い距離なのに、原発の近くには行きたくないという真理が、もしかしたら、東北北部よりも物資を入りにくくしている気がします。
何人かは関東や福島県の郡山や会津の方に一時退避をしていましたが、3日くらいすると帰ってきています。やはり親戚等で暮らしても遠慮があり、やることもなく、疲れてしまうという理由です。
近くに住む親戚に横浜で購入した物品を配りに行きました。年寄り一人で暮らしている人のところに行って、2時間近くお茶を飲んで世間話をしてきました。きてくれたことがとても嬉しいようで、何もできない、したくないなかで、世間話ができるだけでも喜んでくれました。
もう一軒の親戚にいく途中では、検問に会いました。「この先危険地域」という看板があり、原発から30キロ圏内に入るようです。愛知県警の車両でした。
海のほうでの被災地で活動しているのは自衛隊であり、警察でした。みんな昼夜を通して働いてくれている姿を見て、感謝の一言です。
いわきで一泊したのですが、夜寝ているとドーンという振動で目を覚まします。身体で感じる余震が一日10数回あります。震度4というときがありましたが、その後、眠れなくなりました。余震と、静かで見えない悪魔である放射能という心理的な危機で、一泊しただけでも疲れてしまいました。
こうした状況ですので、震災の復興に向けて、混乱期から復興期に移行していくのが普通ですが、心理的な復興期になるのは、まだまだ先のようです。原発が落ち着かないとたぶん無理かもしれません。
さて、横浜へ帰ってきて、平和な町に人が溢れていました。250キロ先の福島県南部の浜通り地区では、まだまだ復興の兆しが見えないのに・・・この横浜で何ができるかを考えなくてはなりません。
(中略)
いつもの季節と同じように横浜の桜は咲く気配を見せています。今週末は黄金町地区で「大岡川桜祭り」が規模を縮小させて実施されます。
同じ春ですが、辛い春が被災地に訪れます。
皆様にも被災地への直接的な応援、芸術を通した応援、よろしくお願いします。
また、皆様、お身体ご自愛ください。
追記:他人事ならず
メールを紹介したNさんが訪ねたのはいわき市の北部、JRいわき駅から見て北西の地です。で実は、ぼくの母方の叔母とその娘(つまり従妹)一家がそれとは逆、JRいわき駅の南方にいるのです。先日電話で安否を確認したのですが、高台なので地震と津波による被害はまぬがれたものの断水と屋内避難命令による物資不足で困っているとのことでした。被災者の方々に心からお悔み・お見舞いするとともに、今回の災難はまさに他人事ならず気をもんでいます。(M&M)