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瀬上沢通信員だより:スペシャル

護念寺縁起と江戸時代の緑地保全策  その2
築城による乱伐後に森林再生へ

早速ネットで調べてみると、2005年に草思社から刊行された『文明の崩壊』の内容の一部が得られたので、以下紹介する。

江戸時代のはじめ、日本の森は危機に瀕していた。統一権力のなかった戦国時代に乱伐がおこなわれた上に、秀吉の時代にあいつぐ大規模な土木工事と朝鮮出兵のための大型船の建造、鉄の精錬で木材が大量に費消され、本州と九州と四国の原生林は一部を除いて壊滅状態だったというのだ。

さらにその後継者である将軍家康、そのほかの大名の多くが先頭に立ち、壮大な城や寺を建造して自己満足に耽ったり、互いを圧倒しようと試みたりした。

家康が築いた城のうち最大の3城だけで、約25平方キロの森林を伐採する必要があった。そして次代将軍のもとで、約200の城下町が生まれた。市街地の住宅建設が木材の需要の面で支配層の巨大建造物を上回った。1570年から1650年頃には建築の急増と森林乱伐が頂点に達した。

しかし、日本は次の2世紀のあいだに少しずつ、これまでよりずっと持続性のある資源消費率を達成してみせた。この方向転換は代々の将軍の上からの主導で行われた。幕府は森を復活させるために樹木1本1本の台帳をつくり、農民の利用を制限し、専任の管理者をおいて厳重に管理した。諸大名もそれにならった。今日に残る日本の森は江戸時代に200年余をかけて再生させた森だったのである。

同書下巻の記述だが、まさに護念寺の縁起はこの記述にピッタリと当てはまるではないか!

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護念寺の参道にある厠。目隠しに竹が使われている

(つづく)

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プロフィール

上郷/署名の会

Author:上郷/署名の会
横浜7大緑地の1つ「瀬上市民の森」に連なる瀬上沢はホタルの自生地として知られ、貴重な動植物が生息する自然の宝庫です。またみどり豊かな里山風景を今に残し、古代の製鉄遺跡や江戸時代に使われた横堰などの文化遺産も眠る横浜市民共有の財産とも言うべき緑地です。
その瀬上沢に大規模な上郷開発計画が浮上したのは2005年。瀬上沢を愛し、それぞれに保全運動をしてきた市民は、2007年6月に「上郷開発から緑地を守る署名の会」を結成、開発計画の中止と緑地の全面保全を求める活動を開始し、同年12月、市内全域はもとより全国各地から寄せられた92000筆あまりの署名を添えて横浜市長と市議会に陳情書を提出しました。
2008年9月、横浜市都市計画審議会は計画を承認せず、「上郷開発事業」は中止となりました。しかし地権者でもある開発事業者・東急建設は引き続き「開発の意思」を表明。2012年1月、ついに第3次開発計画の事前相談書を横浜市に提出しました。私たち「署名の会」はあらためてこの開発プランの問題点を指摘、瀬上沢の全面保全を求めて新たな活動を開始しました。
そして2014年1月に始まった新たな動きがいま地域の住環境・自然環境を揺るがす重大な岐路に……。

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