護念寺縁起余話
孟宗竹?見つけた! 磯子の沖に浮かぶ海苔養殖の筏
たまたま検索していたら、“横浜を愛する中年男が気ままに書いた日記”というふれこみの「バックGの日記」なるブログに行き当たり、そこにある1枚の写真に目がとまりました。
護念寺の孟宗竹の活躍を偲ばせる貴重な光景!
こちら、時代は昭和。でも国道16号線沿い、森の海岸では江戸の昔から連綿と海苔採りが行われてきたことを連想させます。以下、2007年01月21日の記事と写真をそのまま紹介します。

昭和30年頃の磯子・森海岸の写真
我が家は代々海苔養殖を家業としていました。
先々代が分家として分かれて新たに屋号をもらいましたので私は三代目にあたります。
数年前に亡くなった総本家の当主が八代目らしかったのでそこから数えると私は九代目になります。
私が4・5歳の頃から磯子の埋め立てが始まりました。
それまでは冬は海苔を採り、夏は海水浴場をやっていたのを覚えています。
父は冬になると朝の2時頃に海苔を採りに海に出て、5時頃には作業場での板海苔作りが始まっていました。寒い場所での冷たい水作業はとても辛かったことだと思います。
写真は、旧磯子プリンスホテルの庭から撮影されたものだと思われますが定かではありません。
国道16号線には市電が走っていますし、自動車の数がまだまだ少ないのが分かります。
海に浮かんで見えるのが海苔の養殖です。小舟で漕ぎ出し、すべて手作業で海苔を採っていました。
なお詳しくはhttp://buck.hama1.jp/e7161.htmlへ。
注:読みやすいように改行、1行空けの処理を行いました。(ブログ制作本舗・M&M)
たまたま検索していたら、“横浜を愛する中年男が気ままに書いた日記”というふれこみの「バックGの日記」なるブログに行き当たり、そこにある1枚の写真に目がとまりました。
護念寺の孟宗竹の活躍を偲ばせる貴重な光景!
こちら、時代は昭和。でも国道16号線沿い、森の海岸では江戸の昔から連綿と海苔採りが行われてきたことを連想させます。以下、2007年01月21日の記事と写真をそのまま紹介します。

昭和30年頃の磯子・森海岸の写真
我が家は代々海苔養殖を家業としていました。
先々代が分家として分かれて新たに屋号をもらいましたので私は三代目にあたります。
数年前に亡くなった総本家の当主が八代目らしかったのでそこから数えると私は九代目になります。
私が4・5歳の頃から磯子の埋め立てが始まりました。
それまでは冬は海苔を採り、夏は海水浴場をやっていたのを覚えています。
父は冬になると朝の2時頃に海苔を採りに海に出て、5時頃には作業場での板海苔作りが始まっていました。寒い場所での冷たい水作業はとても辛かったことだと思います。
写真は、旧磯子プリンスホテルの庭から撮影されたものだと思われますが定かではありません。
国道16号線には市電が走っていますし、自動車の数がまだまだ少ないのが分かります。
海に浮かんで見えるのが海苔の養殖です。小舟で漕ぎ出し、すべて手作業で海苔を採っていました。
なお詳しくはhttp://buck.hama1.jp/e7161.htmlへ。
注:読みやすいように改行、1行空けの処理を行いました。(ブログ制作本舗・M&M)