瀬上沢通信員だより:2013春-その2
「葵の紋」が見えました 徳川将軍家ゆかりの護念寺を訪ねて
最近、「峯の灸」で知られる古刹、円海山護念寺近くの人から「護念寺の家紋は葵」だと聞きました。
調べてみると、代々の将軍の墓所の紋章は葵であることからして、同寺は将軍勅命の建立だからさもありなんと。
早速、「いっしんどう広場」における署名活動の合間に護念寺を訪れ証拠の写真を撮ってきました。

ついでに「峯の灸」の施療を行っているところへ寄ってみると、運良く苅部住職に会うことができ、ありがたい説教?を拝聴することができました。
・寺の建立自体は、9代家重の時であるが勅命は8代吉宗の時に下っている。
・火事で、ご本尊は持ち出せているが葵の御紋を許されたことを示した文書などは消滅した。
・他に寺格を表すものとして、塀や壁に記される線の数がある。護念寺には塀や壁はないが、あれば当然5本線で、最高位である。
……というわけで帰宅後、ネットでさらに調べてみました。
寺院などの塀にまつわる記事も添えられていて、これがなかなかウンチクに富んでいて面白いので紹介します。(塀に記された線は「定規筋」というんだそうです。)(I&T)
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/heinoohanasi.htm
■編集部後記
護念寺については上郷の開発計画が再浮上した2011年12月、「瀬上沢通信員だより」でレポートしていますので、ご覧ください。→円海山護念寺のことあれこれ(2011.12)
ところで「三葉葵の紋」といえば、近場では鎌倉・扇ケ谷(おうぎがやつ)の英勝寺。
水戸徳川家ゆかりの英勝院が建立した浄土宗の古刹で、今では鎌倉唯一の尼寺だとか。
寺紋は徳川家の三葉葵で、三葉葵の紋をつけた屋根を持つ総門があります。ここはまた鎌倉花五山の一つともいわれる花の寺。
なお東京・芝の増上寺もまた寺紋は三葉葵。
寺は上野の東叡山寛永寺(天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺として知られ、6人の将軍のほか、10人の正室・側室及び歴代将軍の子女多数が埋葬されているそうですが、ここも浄土宗の大本山というから、あるいは浄土宗がキーワードなのかもしれません。(M&M)
最近、「峯の灸」で知られる古刹、円海山護念寺近くの人から「護念寺の家紋は葵」だと聞きました。
調べてみると、代々の将軍の墓所の紋章は葵であることからして、同寺は将軍勅命の建立だからさもありなんと。
早速、「いっしんどう広場」における署名活動の合間に護念寺を訪れ証拠の写真を撮ってきました。

ついでに「峯の灸」の施療を行っているところへ寄ってみると、運良く苅部住職に会うことができ、ありがたい説教?を拝聴することができました。
・寺の建立自体は、9代家重の時であるが勅命は8代吉宗の時に下っている。
・火事で、ご本尊は持ち出せているが葵の御紋を許されたことを示した文書などは消滅した。
・他に寺格を表すものとして、塀や壁に記される線の数がある。護念寺には塀や壁はないが、あれば当然5本線で、最高位である。
……というわけで帰宅後、ネットでさらに調べてみました。
寺院などの塀にまつわる記事も添えられていて、これがなかなかウンチクに富んでいて面白いので紹介します。(塀に記された線は「定規筋」というんだそうです。)(I&T)
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/heinoohanasi.htm
■編集部後記
護念寺については上郷の開発計画が再浮上した2011年12月、「瀬上沢通信員だより」でレポートしていますので、ご覧ください。→円海山護念寺のことあれこれ(2011.12)
ところで「三葉葵の紋」といえば、近場では鎌倉・扇ケ谷(おうぎがやつ)の英勝寺。
水戸徳川家ゆかりの英勝院が建立した浄土宗の古刹で、今では鎌倉唯一の尼寺だとか。
寺紋は徳川家の三葉葵で、三葉葵の紋をつけた屋根を持つ総門があります。ここはまた鎌倉花五山の一つともいわれる花の寺。
なお東京・芝の増上寺もまた寺紋は三葉葵。
寺は上野の東叡山寛永寺(天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺として知られ、6人の将軍のほか、10人の正室・側室及び歴代将軍の子女多数が埋葬されているそうですが、ここも浄土宗の大本山というから、あるいは浄土宗がキーワードなのかもしれません。(M&M)